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アルマンツァー 明子 先生

Akiko Almanzar

インタビュー

アルマンツァー 明子(アルマンツァー アキコ)先生のプロフィール

アルマンツァー 明子先生

音楽家系に生まれ3歳からピアノを習う。
高校生の頃から都内レストランやホテルにて演奏活動を始める。
昭和音楽大学卒業と同時に劇団四季へ入所。
その後渡米しブロードウェイミュージカル作品「コンタクト」「42nd Street」「ミス・サイゴン」等へ出演した。
またダンススクールにて音楽講師として勤務する。
近年ではコンサート企画制作に携わり、来日公演から小規模公演までを手掛け、総合演出や音楽監督を務める。
2025年度フランチェスカ・ルブラン国際音楽コンクール審査員に抜擢。

<学園での担当>
・育英サタデースクールマンハッタン校中学部
・育英アフタースクールニュージャージー校 ピアノ講師
・フレンズアカデミー音楽教室 ピアノ講師

これまでの職歴や経験について教えてください。

 これまではミュージカル俳優として活動してきました。俳優になるために、文字通り必死で努力しました。最初は市民劇団のような小さな舞台からスタートし、日本では劇団四季を経てアメリカではブロードウェイにも出演させていただきました。
 
 ミュージカル俳優としてもそうでしたが、私は「これになりたい!」という目標があると、それに向かって一直線に突き進むタイプです。脇目もふらずに努力を重ねてきたぶん、山あり谷ありで、苦しい時期もたくさんありました。
 
 そんな私の転機は、コロナで仕事がすべてストップしたときに訪れました。どこで話を聞いたのか、一人の方から「教えてほしい」と声をかけられたのです。正直、最初は“先生”になるつもりなんてまったくなくて、むしろ教えるのは絶対やらないと決めていたので、かなり渋っていました。でも、「まあ、(コロナで)暇だしやってみるか」という軽い気持ちで始めてみたところ、意外にも教えることが楽しいと気づいたんです。
 
 そうしているうちに、気がついたら生徒がどんどん増えていきました。今は「教える」ということが自分の人生の流れに合っていると感じるようになりました。流れに身を任せた結果、今では教えることが自分にとても合っていて、何より楽しいと感じています。
 
 以前は自分がスポットライトを浴びるために努力していましたが、今は生徒にスポットライトを当てることに喜びを感じています。「どう?この子、上手でしょ!」っていう感覚ですね。生徒がコンクールで賞を取ったときなんて、「よっしゃー!」と心の中で叫んでいます。自分が舞台に立っていたときよりも、生徒が輝いている姿を見るほうがずっと楽しいです。
 
 これまでの舞台経験で培った、「どうすれば観客の目を惹きつけられるか」というノウハウは、今の指導にも活かせています。同じことをやっていても、ちょっとした工夫で“華”や“オーラ”を演出することができます。それを意識して、レッスンでは丁寧に指導しています。
 
 技術的にずば抜けている人ももちろんいますが、多くの人は大体80点くらいの技術力で勝負している中で、“頭一つ抜ける存在”になるには、やはり“華”があるかどうかが重要です。その子の性格を理解し、長所を見つけて伸ばしてあげる。それが、今私が取り組んでいることです。
 
 だから、レッスンは一つとして同じものはありません。生徒それぞれに個性があり、たとえ同じ曲でも、弾き方やアプローチは異なります。その子の強みや弱みを見つけながら、一緒に成長できるようなレッスンを心がけています。

 

コンサート時の写真1 コンサート時の写真2

 

子供の頃の夢は何でしたか?

 両親が音楽をやっていたので、気がついたらピアノを習っていました。ピアノを弾き始めた記憶があるのは3歳なので、経歴には「3歳から」と書いていますが、たぶんその前からやっていたと思います。
 
 6歳の頃に「レ・ミゼラブル」を観劇して心を奪われて以来、ミュージカル俳優を目指すようになりました。そのまま大人になるまでまっしぐらです。
 
「レ・ミゼラブル」は、当時の私に大きな影響を与えました。観劇した後は、すぐに全曲の歌詞を暗記し、楽譜が欲しくてたまらなくなりました。小学1年生だった私は、お年玉を握りしめて自転車に乗り、音楽ショップへ向かいました。「『レ・ミゼラブル』の楽譜ください!」。あの時の私は、なかなか行動力のある子どもだったと思います。あいにく在庫がなく、取り寄せになってしまいましたが、1週間後、届いた楽譜を手にした喜びはひとしおでした。帰り道、我慢できずに途中自転車を停め、公園のベンチで楽譜のページをめくった瞬間のときめきは、今でも覚えています。
 
 親は、厳しい世界と現実を知っていたので、ミュージカル俳優を目指す事を隙あらば反対してきました。「無理。」「なれない。」とハッキリ言われていましたし、早く私が諦める事を待っていたと思います。でもここは親の大誤算でした。私は、悔しさが原動力になるタイプだったんですね。逆に闘志が燃えるんです。こうして親はせっせと薪をくべてくれたので、私は燃えに燃え、燃え上がった結果が今の私です。

 

現在の育英学園での役割は何ですか? またニューヨークで教えることの魅力や難しさについてどうお考えですか?

 学園では、NJ校とフレンズアカデミー校でピアノと歌を教えていて、土曜日はマンハッタン校で中学部の指導をしています。
 
 ニューヨークというかアメリカで教えることの難しさは、アメリカの子どもたちが聴いて育つ童謡と、日本の子どもたちが聴く童謡が大きく異なる点にあります。アメリカの童謡は非常にリズミカルで、小さい頃から裏拍で歌うことが自然に身についています。そのため、日本の生徒とアメリカの生徒を比較すると、音の取り方やリズムへの“慣れ”に大きな違いがあることに気づかされ、教える側として大変興味深いな感じることがあります。
 
 一方で、日本の子どもたちは、物事に細かく丁寧に取り組む姿勢がとても印象的です。その緻密さや真剣さは、特に大きな強みだと感じています。それぞれに違った特徴があり、その違いを理解しながら指導することの重要性を日々実感しています。
 
 それら両方の良いところ取りをしたいですね。目下の課題です。

 

教育において大切にしていることは何ですか?

 「技術維持と知識のアップデート」です。芸術の世界に終わりはありません。自分自身が学びを止めないことを大切にしています。
 
 あと、生徒に「練習して来なさい」と言う以上、自分も練習は欠かしません。いつも午前中は、自分の練習時間に充てるようにしています。
 
 それから、古くからの講師仲間たちと定期的に情報交換をしています。楽譜や教材について「この教材は良いよ」「こういう教え方をすると分かりやすいよ」というアイデアを共有し合ったり、また最近のオーディションやコンクールの傾向について話したりします。新しい作品や教材はどんどん生まれてきているので、時代と共に進化する中で、常に最新の知識を生徒たちに届けられるよう、なおかつ子どもたちにどうしたらうまく伝わるかを考えながら指導することを大事にしています。

 

子ども達や保護者へのメッセージをお願いします

 音楽教育は、技術の習得だけでなく、集中力や忍耐力といった力を育むことができます。そういった感覚を小さいうちから自然と身につけるという意味でも、ピアノはとても良い習い事だと思います。
 
 育英学園のピアノレッスンでは、小さなお子さまから大人の方まで、幅広い年齢層に対応したレッスンを行っています。しっかりと基礎から指導し、先ほども述べたように、生徒一人ひとりに合わせたレッスンを心がけています。レベルは3段階に分かれており、ピアノだけでなく歌のレッスンも組み合わせることができます。ご自身の興味や目的に合わせて、自由にカスタマイズできるのが特徴です。
 
 また、毎年1月には発表会も開催しています。マンハッタンのホールを貸し切って行われるこの発表会では、日頃の成果を発表する貴重な機会となります。ステージの上で一人きりで演奏する緊張感は、発表会ならではの体験です。ぜひ多くの方に、この特別な経験をしていただきたいと思っています。

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