Report: The Importance of Mother Tongue Education
日本人としてニューヨーク近郊に暮らす私たちにとって、子供の教育をどうするか、幼稚園選び・学校選びはきわめて重要な問題です。何年もまえとは違って様々な選択肢のある今、迷いも大きくなるのは当然のことです。
この小冊子は,そんな悩みを抱える皆さんに、私たちの子供達が通うニューヨーク育英学園全日制について、親の立場から情報を提供したいという気持ちから企画されました。父母有志によって自然にわきあがったアイデアであることをお断りしておきます。
かつて皆さんと同じように学校選びに迷い悩んだ私たちが、試行錯誤の末になぜ育英学園を選ぶに至ったか、現地校から育英に転入した子供の実例、あるいは育英 から現地校に転出した実例をご紹介することで、
育英学園について理解を深めていただき、幼稚園や学校を選ぶ際の一助となることを願うものです。
暖かい豊かな人格と、深い思考力を育むために…
司会 長男七年生 次男三年生 在六年
A 長女三年生 次女年長 アメリカ生まれ
B 長女六年生 長男四年生 在四年
C 長女八年生 次女六年生 在六年
D 長女一年生 在七年
E 長女四年生 アメリカ生まれ ご主人はアメリカ人
Aさん: 我が家の娘達は、二人ともアメリカ生まれです。長女は現地のプライベートスクールに二年生まで通いました。そして二年生の二学期からニューヨーク育英学園 にお世話になっています。
娘は現地校での適応に関しては本当にスムーズでした。お友達にも恵まれ、学校生活を心から楽しんでいました。
Aさん: 先生、お友達、環境など全ての面で素晴らしい学校でした。
しかし、アメリカ駐在期間も長くなり、当時長女は、会話は英語の方が楽で、家庭でも日本語につまって、すぐ英単語を混ぜたり、「もういい」といって話を途中で止めてしまう事が多く見られました。
日本語で自分の言いたい事がきちんと伝えられない。と いう状況に、不安を感じ始めていました。日本の学校へ帰って、スムーズに適応していくためには前段階が必要だと考えました。
このままハンディーをもちなが ら新しい環境に入るより、日本人学校で日本的な環境を少しでも経験しておく事は、日本語の面でも、またカルチャーショックを少しでも減らすという点でも有 意義だと考えました。
また、こちらの学校は、減点方式ではなく、とにかく誉めて下さいます。学校のリポートも絶対評価ですから、一生懸命やれば良い成績が つきます。
そして、個人面談などでも、「よく頑張っている。何も問題はない。」と先生に言われました。しかし親としては、それが、「外国人としては良く やっている。
という意味なのか、または、アメリカ人の中でも、立派にやっていける。ということなのか…」その客観的判断がつきにくいのです。
そして一年生 になってからは補習校にも通い始めましたので、日本語での学習能力を維持するための努力もしなければなりませんでした。
コミュニケーションができるという だけではなく、二つの言語での学年相当の学習能力を身につけるということは、本当に難しい事です。
近い将来の帰国も考え、精神的余裕を持って日本語で学ぶ 楽しさにたっぷりとひたらせてあげたい。
と思ったのです。これは主人と話し合って決断しました。夏休み中に、「日本人学校に移る」と娘に話しましたら、泣 いて抵抗しました。
Aさん: 毎日が楽しくて楽しくて輝いています。
クラス全体が本好きですので、学校で毎日のように本を交換し合ったり、親も子も精神的にゆったりとして、一つ一つの 課題に丁寧にしっかりと取り組めるようになりました。
娘の通っていたプライベートスクールは、素晴らしい学校でしたが、やはり私は最後までどこか肩身が狭 いような気持ちを抱いておりました。
親子三代にわたって卒業生という家庭も多く、学校に対する愛情は並々ならぬものがありました。ボランティア活動も盛ん でした。
母校のために一致団結して盛り上がる父母の中で逆にマイノリティーとしての寂しさを感じざるを得なかった…それは子供にも伝わる部分があったので はないかと思います。
今育英に学んで娘は心の底から安心して学校に対する愛情をかみしめていると思います。初めて母校をもった…そんな気がするのです。
Bさん: 我が家は長女が二年生、長男がキンダーでアメリカにきました。それぞれ本人の希望で娘は現地校へ、息子は育英へ、という選択をしました。
娘は、全く英語が分からない状態から、頑張って壁を乗り越えてきました。しかし、頑張っても頑張っても新しい壁が次々と現れる…
Cさん: 良く分かります。我が家も長女が二年生の時にアメリカにきましたから本当に親も子も必死でした。でもやってもやっても英語も、日本語での学習も、どんどん 難しくなるので、余裕は生まれない…
小学校時代にずーっとそういう状態においておく事は心身の健全な発達にとって、果たしてどういう影響を与えるものなの か…私はその点が心配でした。
Bさん: 弟が育英に通っていましたので学園祭での劇を見た時娘が、「私もこういうことがしたい…」とポツンといったのです。
私は親としてこの言葉の持つ意味を、深 く受け止めてあげたいと思いました。そして、六年生の一学期から育英に転校させました。小人数の学校なので本当に一人一人が、それぞれに個性を尊重され大 切にされていると感じられます。
運動会が五月にあったのですが六年生に準備、進行など、大きな責任が任されました。
仲間と協力して、一つの目標を達成する 喜びなどは、個人プレーが重視される現地校では、味わうことが少なかったのではないか。と思うのです。
Cさん: 私の次女と現在同級生なのですがKちゃんが転校してきて、一週間ぐらいたった頃娘が、「ママ…Kちゃんが”学校ってこんなに楽しい所だったんだってこと私 忘れていた。
大きな声を出して心から笑った事って、何年ぶりかしら…?”って言ってたよ。」といったことを忘れる事ができません。私は、おもわず涙がこぼ れそうになりました…彼女は現地校で、必死で頑張ってきたんだな…と。
現地校に通っている日本人の子供達は、何年たとうが、どんなに英語が上達しようが、 自分は全体の中でマイノリティーだというプレッシャーを常に感じているのではないでしょうか。
我が家の次女は、約四年の現地校生活を経て育英にうつしまし た。元々活発な子ですが、育英に移ってから、爆発したかのようにさらに伸び伸びとして、みずから進んで大きな責任を担うようになりました。
どの子供にも可能性を見つけようとする学園の先生方の暖かさに触れて、自尊心が高まりより高い目標に挑戦してみようという、意欲が高まったのではないか、とおもうのです。
主役になる喜びを味わい、リーダーシップとは何か、責任を果たすということはどういうことかをいろいろな行事を通して、学んだように思います。
これ は、現地校ではなかなか経験できないことだと思います。
Cさん: キンダーで渡米した娘は幼かったせいか、現地校に良く適応し、学習面でも人間関係の面でも、学校生活を楽しんでいました。しかし、私の心の中には常に不安がくすぶっていました。
「日本語での学習も、英語での学習も深さが足りない。」という点において。”A life long love of learning” を育んでいくためには、この時期にこそ深く学ぶ喜びを感じさせたい。
日本語の美しさを感じられる心を育み、深い思考力のある人間に育ってほしい…そのため には母語にたっぷりとひたり、考え、豊かな読書を楽しむ時間が必要なのではないか…と考えたのです。
そして、二つの言語での学習を両立させるのに親が疲れ てきた。ということも本音です。両立させる事にかけてきたエネルギーを他の事にかけるのも一つの選択なのではないか。と考えました。
Dさん: 私は学生時代、社会人時代を通して周りに多くの帰国子女の友人がいました。彼等から自分自身のアイデンティティーに関する悩みを聞く機会も多かったため、
渡米するにあたって夫婦で我子にどのような教育環境を整えてあげるべきか…慎重に話し合いました。そして、自分自身の母語の基礎を固める事を第一優先と考 えたのです。
Dさん: 日本人学校では英語は学べないのではないか…と考える方もいらっしゃいますが、育英では小学校一年生から、毎日一時間英語の授業がアメリカ人の先生と、バイリンガルの先生によって受けられます。
またご両親のどちらかが、アメリカ人または外国人という生徒もいますから、インターナショナルスクール的な雰囲気 もあり、無理なく英語に親しんでいけます。
プールで会ったアメリカ人の子となんの屈託もなく、一緒に遊んでいる我子を見てこれで良かった…と感じていま す。
Eさん: 子供をバイカルチュアル、バイリンガルに育てたかったからです。それぞれ異文化の中に育った夫婦の間で、子供が両方の言葉を理解するということは必然と考 えました。
お互いの家族を理解し合えるためにも、両方の言葉と文化をつたえるべきだとおもったのです。夫はアメリカ人ですが日本語も話しますし、漢字も 800から1000字くらいは知っています。
自分が日本語を勉強した時の経験から、後からでは日本語をマスターする事は難しい、と判断したのです。言葉は 話せるだけではだめだ…読み書きができなければ役に立たないと考え、小学校一年生から育英で学ばせています。
バイリンガルというのは、ただ二カ国語を使え る。という意味だけではないと思います。
言葉は単に伝達の手段だけではなく、文化そのものだと思うのです。私は、娘に日本の文化を伝えたいという強い願いがありますし、また娘が生きていく上でそれは必要なことであると信じているのです。
Eさん: もちろんです。自分が背負っている文化を伝えないということは自分を否定してしまう事につながるのではないでしょうか?
そうすると、子供が成長して、ある 時期が来ると自分のアイデンティティーに自信が持てなくなり、精神的に不安定な状態になりやすいと思います。
実際にそういう例を私は、たくさん見てきまし た。
Eさん: 日本で生活していると、島国ですから、自分のアイデンティティーを見つめる事なく生きられると思います。しかし、外国で暮らしている私達にはその機会が訪れます。
アメリカでは皆それぞれ自分のルーツにこだわって生きています。例えば、イギリス系、ドイツ系、イタリア系、ユダヤ系など…
ルーツというくらいですから自分の根がしっかりしていなくては葉や茎は健康に育たないのではないでしょうか。
親が自分の文化を大切にして子供にきちんと伝え、自分の日本人である部分を受 け入れて、プライドを持てるようにしてあげる事が大事だと思うのです。
それがアメリカでまた世界中どこへ行っても、堂々と自信を持って自分の人生を生きて いける事につながると思うのです。
Eさん: 自己評価が低くなる場合が、あると思います。子供が小さい時は、ひたすら周りのアメリカ人と同じになりたいと願うでしょう。
そして、心の中で母親が日本人 である事を恥ずかしく思ったり学校で日本語で話しかけられる事を嫌がったりするようになるかもしれません。自分の中の、日本人である部分をポジティブに受 け入れられてないからです。
でも、ある時期が来るとそういう自分の日本人である部分に気がつくようになるのです。その時その子は、大きな壁にぶつかるので はないでしょうか?なぜなら、自分で自分を否定している。受け入れてない。という矛盾があるからです。
そして、悩んだあげく突然日本へ、「英語を教えに行 く。」などといって、行ってしまったり、人間関係につまずいたり…そんな例を私は見てきました。
Eさん: ただ現地校に入れるだけでは、バイリンガルにはなれない。という現実を良く認識してほしい、と思うのです。
Cさん: 確かにヨーロッパの人達を見ていると、自分の国の言語、文化を本当に大切にしてプライドを持っていますよね。
滞米のヨーロッパの外交官、駐在員の家族はそ の大部分が、自国語の学校か母国の学校に子供を学ばせていますね。自分の子供達には、まず自分の国の言語文化をしっかり伝える。
自分を良く知り、大切にす る事ができなければ、相手を尊重し、他の文化から学ぶ事はできないのかもしれませんね。
真の国際人を育てるという意味において私は、幼小学校期の母国語に よる教育は本当に大切だと考えているのです。
アメリカ人から見た尊敬できる日本人とは、一体どんな人間なのでしょうか?彼等から見て学びたいと思わせる、 何かを感じさせる日本人。
それは長い日本の歴史と、伝統の中に伝えられてきた文化をしっかりと身につけた、日本人として立派な人間に通じるのではないで しょうか?
Eさん: そうです。英語さえ流暢に話せれば、と考えるのは間違いだと思う。バイリンガル教育に話は戻りますが、バイリンガルに育てるにはとても長い時間がかかります。
年齢が低い時に三年から五年という期間で完成させるのは、無理ではないかと思います。我が家は、父親がアメリカ人。
母親が日本人という環境で生まれた 時から、二カ国語を同時進行で入れてきましたが10才になった今でも、完成したわけではなく努力をしている途中なのです。
Cさん: 我子の成長をみていて強く認識した事は、幼児期、低学年期で二つの言語の発達の同時進行は有り得ない、または難しいということです。
一つの言語を使って、 抽象的な概念がつかめるようになり、読書量が増えてくると第二言語も伸びてくる。という現象が起こります。
まず、子供の母語を豊かに深めることが大切だと 感じるのです。幼小学校期に、二つの言語が中途半端な状態に長くおいておく事は、リスクが高いと思います。
というのは、人間が本来もっている、言葉を獲得 すべき時期に、一つの言語を深くつかむということができないままに過ぎてしまうということが、起こる場合があるのではないか…と。
具体的には、どの言語で も読書を楽しめない、考えを深めたり、論理的な話ができない。そして、それは低学力にもつながっていくのではないでしょうか。
Eさん: 英語力に関しては常に気にしています。赤ちゃんの時から主人と私とで、日米両語で本を読んであげてきました。また、夏休みは英語のキャンプに入れています。
同時進行で、二つの言語を入れているのですから短期的に見れば、遅れている時期もあるかもしれないけれど、日本語が伸びればそれに比例して、英語も伸 びるという相互作用があると感じています。
だから、長い目でみて考えています。日本の初等教育は、本来とても優れた面を持っています。例えば、漢字を覚え るのに必要な根気、緻密さなどは後になって他の学習でも役立つものだと思います。
また育英では、能力別の英語クラスがあり、バイリンガルクラスでは、アメ リカ史、地理、また小説を夢中で読んだり…と英語力アップに役立っていると思います。
Bさん: アメリカ人の先生は、感情の表現が豊かで大袈裟なので、生徒を可愛がってくださっているように思いがちですが、実際の所は極めてビジネスライクなように思います。
担任でなくなれば、クリスマスカードのやり取りさえなくなり、生涯を通じての、深い交わりなどというものは、ほとんど無いのではないでしょうか?
もちろん、個人的に特別に努力すれば可能なのかもしれませんが…午後三時三十分以降学校で、先生の姿は見かけませんでした。
Dさん: その点育英での先生方との出会いはこれからの子供の一生を支えていくのではないかと思うほど、暖かく大きなものだったと思います。
幼児期に関わった人間の質がその子の人格形成にどんなに大きな影響を与えるか…私はそういう意味でも、学園に感謝しまた満足しています。
Eさん: そうなのです。アメリカの学校の問題点を挙げるなら先生の質に大きな差がありすぎる。ということがあります。
だから親は、常に様子をチェックしている必要があるのです。私も娘が現地校に行っていた時ボランティアをしに、年中学校に行っていましたがいつも内容を把握する努力をしていました。
そして何かあれば 必ずはっきり言わなければ、改善されません。時によっては校長先生に訴える事も…アメリカの学校に行かせるということは、親の方もそこまでする覚悟が必要 だということです。
基本的に、子供の教育の責任は親にあり、学校を全面的に信頼して子供を委ねるというという発想はないのではないかと思います。
Bさん: 先生、友人との付き合いを通じて人間に対する基本的な信頼感を得る事は、大切なのではないかと思います。小学校高学年になると、言葉を使っての深いコミュニケーションを、友人同士で楽しむようになります。
親から精神的に、独立して行く時期に、不安を分かち合い共感し、そして内面を見つめあえる仲間との出会 いは、なによりも重要なものだと思うのです。
Aさん: 次女は、幼児部年中に二学期から、姉と一緒に育英に通わせています。日本語の環境に移ってから、正に”水を得たさかな”とでも言うように毎日生き生きと通 園しています。
縄跳び、折り紙、あや取りなど身体の面、手先の面など、急に色々とできるようになり、バランスよく伸びている様に感じられます。運動会、生活発表会などの行事でも、気後れする事なく、自分の持っている力を充分に表現している娘の姿に、目を見張りました。
先生方や、友達との関係も、より深い安 心感の中で豊かさが出てきたように感じます。あやふやではなく、言葉を使ってしっかりと、相手に自分の思いを伝える事、そして相手の思いを感じ取ったり、 自分より幼いもの、弱いものをかばう心が育ってきたのを感じる時、深い喜びを感じるのです。今の日本では失われてしまったような、異なった年齢の学年を越 えた子供達同士の交わり、そして学園中の先生方の暖かい眼差しのなかで、一人一人が個性を、認められ大切にされて日々を過ごせる事で、人間としての暖かさ、豊かさ、自信が育っているように感じるのです。
逆に、この様な学園は日本では見つけられないのではないでしょうか?
Dさん: 私は育英の先生方の、仕事に打ち込んでいらっしゃる姿に感謝、そして感動すら覚えています。仕事を愛するということはどういうことなのか、真摯に生きる人 間としての誠実さとはなにか、
という言葉では教えられない最も大切なものを子供達は学園の先生方の、生きる姿勢から日々学んでいると感じるのです。
育英から現地校へ移った例
日本でも小学校から英語教育が始まることになり、「幼いときから英語をさせたほうがいい」、
逆に、「まず第一言語を習得させることが大切だ」、など、新聞の投稿欄でこの問題を論じない日はないかと思えるほど、早期英語教育への関心は高まっています。
どちらの意見にしても、将来を担う子供たちが英語を習得することのメリットは認めているわけで、要はいつから、どのように始めるかというところがポイント のようです。
いずれにしても、日本にあって何とか英語をものにしたい、子供に英語を身につけさせたい、と考えている人々から見れば、短期の旅行者でなく、
ある程度まとまった期間を英語圏で暮らす機会を得た私たちは、うらやましく思われることでしょう。
家族での海外生活は、その土地の言葉を学び文化や習慣を知るまたとないチャンスです。これからの国際社会を生きていく我が子に、当地であれば英語に挑戦してほしいと願うのは親として当然と思います。
しかし、その一方で日本人である以上、たとえ外国で生活していても、日本語をきちんと身につけ、日本人のよいと ころも併せ持っていてほしいとも願わずにはいられません。
一見まわり道のようですが、6年 間当地でくらしてきた経験から、教育環境を決定する責任が親にある小さい子供の場合、すなわち小学校低学年以下の場合には、日本人を対象とする幼稚園、小学校をお勧めしたいと思います。
この世に日本語以外の言語体系が存在することが理解できていない小さい子供には、第一言語である日本語の習得がまず何より 大切だと思うのです。
現地校に通って友達と屈託なく英語で笑いあう我が子、それは、 英語に苦労してきた親の立場からすれば、思わず目を細めてしまう光景でしょう。
でもそれは、単に幼い子のレベルの英語に過ぎないのではありませんか。しかも、日本に帰ればわずか数ヶ月で忘れてしまう、また、そうでないとアップテンポの日本での生活に順応できないことは、専門家が語るところです。
むしろスポンジのように言葉を吸収し、自分のものとして使い始めるこの時期にしっかりとした日本語の基礎を頭の奥深くに刷り込むことのほうが、その先の人生で英語や他の外国語を学ぶのによほど役立つように思われます。
もし、家庭で家族と日本語を不自由なく使っているから大丈夫と思われているとしたら、ちょっと待ってください。
何をもって「日本語が使える」と判断するか、その基準は人によって違うでしょう。しかし、いくら日本人とだけしか付き合わず、日本のテレビ番組を見て日本人学校に通わせていたとしても、
日本を離れて日本語や日本の文化を学ぶということは、それ自体すでに日本にいるより、ずっとハンディキャップのあることなのです。
たどたどしく文字を読み 始めたときに指差して声に出してみる看板もなければ、第一言語で言葉をかわす相手となる大人の年齢も職業も海外ではとても限られているのですから。
ですから、海外生活を始める時点での子どもの年齢によっても、学校選びは異なってくるはずです。
日本で数年でも小学校体験がある子どもと日本語もおぼつかない年齢の子を、ひとりが現地校だからもう一人も現地校、という安易な選択をしてしまわないように気をつけてください。
学年が進み何通りもの読み方のある漢字を自在に使いこなすのには、毎日日本語を学べる環境にあっても相当の努力を要することです。
読書好きの子どもなら、特に学科としての国語を意識しなくても国語力はめざましい伸びを見せていきます。でも、これだけ刺激的なゲーム機器のあふれる時代に子供を本好きにするのは、どこの国にいようが並大抵のことではありません。
私は息子の経験から、本が好きな子になってしまうまでは日本語教育をまず最優先することの重要性をつくづく感じました。
読書量が増えれば自ずと表現力も養われ、今度は自分のものとして文章表現ができるようになります。
ですから、年齢相応の本を自分からどんどん読むようになり、書くことが億劫でなくなる時期までは、まず第一言語たる日本語をメインに考えていいと思っています。
どうやって漢字を学習したら身につくか、その方法を子供自身が自分でわかるところまで 達していれば自習ができます。
日本語がこのレベルまで達していることが第二言語としての英語を習得しようと言うときに、たいへん助けてくれることになるのです。
5歳でアメリカに来た上の息子は、幼稚園の年長組から育英に学び、四年生の一学期を終えたところで自ら希望して現地校の5th Gradeに転入しました。現地校で出会った日本人の子供たちの反応は、
「育英に行っていても、結構英語ができるようになるんだね」というものでした。その後、話すことと聞くことについては驚くほどの速さで馴染んで行きました。
読むこと書くことは、もっとも手のかかるところです。しかし一応日本語の基礎の段階を終えているので、何が分からないのか、それがどう分からないのかを日本語でなら言葉を尽くして伝えることができます。
本を進んで読むようになっていたので、話の展開を予想することができます。英語では書けなくても、伝えたいことは日本語では頭の中に整然とまとまっているので、英語にするというところでのみヘルプが必要だということがよく分かりました。
つまり、すでに基礎の段階を終えていた日本語が、英語を学ぶ上で想像もしなかったほど助けてくれたたわけです。
“What do you mean by that?” と問いかけられたとき、英語だから言えないのであって日本語ならよどみなく言える状態であるのか、
それとも、そもそも言いたい内容を説明するボキャブラリーをどちらの言語でも持っていないセミリンガル状態にあるのか、という点にはとりわけ注意する必要があると思います。
現地校に移ってからも、日本語で本を読むことについては、趣味というか、息抜きになっています。書くことについては、折に触れてまとまったものを書くように 意識して心がけないといけないようです。
少しずつ英語力がついて自分の知的レベルにあった本が読めるようになってきてからは、英語の本も積極的に読むよう になりました。
さて、現地校で2年 を過ごし、話すと聞くについては急速に馴染んでいった英語ですが、友だちもでき、日常生活には困らなくなってはいるものの、よく耳をすませて聞いてみる と、どうも変じゃないかな、と思うこともあります。
ところが両親とも日本人、一応日常生活はなんとかなっているものの、どこがどうおかしいのかを教えてやれるほど英語に精通しているわけではありません。
これが日本語だったら、「こういう言い方はしないよ」とか、「言えなくはないけれど、この場面にはふさわしくない」と言ってやれるのですが。
そして問題は、変でもなんでも相手が理解してくれてしまうことが多いことと、いちいち訂正して教えてくれる人は実はそ れほどはいない、ということです。
英語を何年も学んでいるのにちっともコミュニケー ションができない、だから小さいときから英語をさせようというのが、最近の英語教育熱だとしたら、変でも何でもとにかく通じればいい、
子供のレベルの英語 ならそれでいいと言うことになるのかもしれません。けれども、日本人だったら、学校で学ぶほかに家庭でも言葉遣いをなおされながら、
小学校高学年でかなり まとまった考えを書けるようになることを思うと、英語で現地の子の読み書きのレベルまでいくのは気が遠くなるほど大変に思えます。
現地の子と変わりない発音をする、ESLも 終えた、楽しそうに通っているということで、英語の力が本当についているかは、測れないのです。
日本人学校でも本を読む子もいれば読まない子もいる、国語 が得意な子も不得意な子もいると同様、アメリカの学校でも全員が全員きちんとした英語ができるわけではありません。
そういう中で、日本語を後回しにして努 力してきた英語のレベルはどの程度のものなのでしょうか。
ここで誤解していただきた くないのは、私が言いたいことは「どうせ完璧にはできないのだから現地校へ入れる必要はない」ということではありません。
英語はあくまでも手段だと考えて 現地の学校へ飛び込み、そこで経験する様様な場面はどの子にも貴重な経験となるにちがいありません。
子どもの学校を通じて私もまことに興味深い異文化体験 をさせてもらっています。せっかくアメリカで暮らしているのにこれを全く経験しないで帰国するのはもったいない、とさえ思います。
しかし、日本から来て日本語もよく分からない年齢で、馴染めずに毎日泣いている、というような事例を聞くと、それがいつか泣かずに行かれる日がきても、それは本当に楽しんでいるのか、
それともあきらめただけなのか、よく見極める必要があると思うのです。かつて、息子の友人の中にも、現地校に行き始めても言葉 にどうしても馴染めず、
話し掛けられると自分の空想の世界入っていってしまって毎日を過ごしているのに、親も先生もまったく気がつかずにいたという例、すっかり英語嫌いなってしまった例もありました。
昨今の英語熱ともあいまって帰国子 女の成功例ばかりが報じられがちですが、お子さんの性格をよく考えてみてください。
英語だけのことならあわてることはありません。とにもかくにも、もうアメリカで生活をはじめたのですから。
日本人学校に行っていても、タウンのスポーツに参加したり、現地のサマーキャンプに参加するなど、いくらでも英語にふ れることはできます。
近所の子と毎日遊ぶだけでも英語に慣れていきます。幼少期は日本人学校・幼稚園の一日一時間の英語で十分、それだってネイティブの先 生に習えるのですから。
基本となる日本語に重点をおいておいて、無理のない自然な形で英語に親しむということが一番理想的だと思います。
2歳半でアメリカに来た下の息子は現在も育英で日本語の基礎を固めながら、学習の方法を学び、一方アメリカ人の友達もできて英語も大好きという状態です。
二度と帰らない貴重な時期を、自分らしさを存分に出せる環境に置いてあげてください。自分の核となるべきものがしっかりしていれば、必ず英語に興味が湧き、挑戦してみようと思うようになります。
何度も繰り返しますが、もうアメリカにいるのですから。
育英学園との関わりで言えば、息子は日本語の基礎を固める大切な時期を、情熱あふれる先生方のあたたかさに満ちた環境のなかで過ごしました。それは心の中に 揺ぎない信頼と自信を育くむ結果となりました。
滋養あふれる大地にしっかりと根を張ることができてこそ、若芽は伸びていかれるのだと思います。
転 校を申し出た息子を、先生方が励まし応援して送り出してくださったことには本当に感謝しています。卒業生や帰国で育英を離れた子供ばかりでなく、途中で転 校した子供にも毎年先生方の寄せ書きの添えられた年賀状がとどきます。
息子にとって育英学園はかえがえのない大切な母校であり続けることでしょう。
最後に、「育英に行かせたくても、派遣されている会社の補助金の限度額を超えるために行かせられない」いう声もよく耳にします。
企業の担当の方は日本を離れ て教育を受ける子供たちの現状をよく調べて、状況を理解して欲しいと思います。
日本人としての良さを失うことなく国際人として活躍できる人材を育てるためにも、幼少期の日本人学校の重要性に目を向け、希望する家庭の願いをかなえるに足る補助金をぜひお願いしたいと心から思います。(I.T.)
帰国子女といっても、何歳の時に、何年、どの国にいたのか、そして、どういう教育環境で、育ったかによって千差万別です。概して、日本では成功談ばかりを耳 にします。
そして「いいわね。子供は覚えるのが早いから、半年も経てば、英語がペラペラになるんでしょう!」という友人、知人の言葉に送られて日本を発った親は、バイリンガルへの夢を、我子にみます。
又、「子供にとって、現地校を経験する事は、英語を獲得し、視野を広げ苦労した分人間が強くなる事であ る。」
という神話ほど、日本人の親の心を魅了するものはないと思う。誰もが、何の疑いもなく、うなずいてしまう不思議な魅力があるのです。
六年間のアメリカ生活を通して、我子も含めていろいろな子供達を、見てきました。そして、この神話ほど親の判断を、狂わせるものもないと思うようになりました。確かに、そういうケースもあるでしょう。
しかしそれは、努力さえすれば全ての子供にあてはまるわけではないのが現実です。現在の自分の子供に、本当に ふさわしい教育は何なのか。それを見極める事は、親の大切な責任なのではないでしょうか。
幼少期から、アメリカに、滞在している子供で、日、米どちらの言葉も、十分に発達せず、自分に対して自信がもてない、不安感の強い子をみることがあります。
不安が強いために、逆に、人に対して攻撃的になり、それを「自己主張がしっかりできる。」等と、誤解してしまうことがあるのです。
幼小学校期の教育を考える時、最も大切なものは、一体何なのでしょうか。それは、思考できる、言語を獲得すること、そしてそれを深め、高めていくことなので はないでしょうか?
言語は、単なる表現の手段ではなく、言葉によって思考するとさえ言えるのではないだろうか。深い思考力のある人間を育てるには、言語を 大切にしなければならない。と思うのです。
豊かな読書、深い言葉の理解、これは、幼小学校時代にこそ、第一言語でさせる事が、必要なのではないか…そう信 じるのです。
そしてもう一つは、深い愛情に包まれて、人間に対する、信頼感を得て、 自分自身に対して自信を持てるようになる事ではないかと思うのです。
それによって豊かな人格を築く土台が出来、又、自己評価の高い人は、自ら努力し、挑戦 していける人間に育っていけるのではないかと信じています。
日本人としての確かな自 信を育てる事が、世界中どこに行っても堂々としていられることにつながっていくのではないでしょうか。
アメリカに住む年月が長くなるにつれ、マイノリティーが、プライドを持って生きていく事がどんなに難しいかというかということを、強く感じるようになりました。
日本からはるか遠く離れたニューヨークの 地で、質の高い教育を母国語で、受ける事ができた娘達の幸運に心から感謝しています。
そして、誇りを持って、母国語による基礎教育を選択する事の重要性 を、切に感じるのである。(M.F)
2000年10月