Alumni Stories

元在校生・元職員からの声

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ニューヨーク育英学園で学び、それぞれの道を歩んでいる元在校生のみなさま、そして学園を支えてこられた元職員のみなさまに、学園での日々をふり返っていただきました。

岡本 徹さん

育英学園の学園歌ができた頃のお話

岡本 徹 第2代学園長(1985年3月〜)

1986年、幼児部のみであった Japanese Children’s Society に全日制の小学部が開設されました。まずは1年生のみ14名でのスタートでした。1989年の2学期に現在の Englewood Cliffs の学園舎に引っ越ししましたが、その頃、自然発生的に学園歌を欲しいとの希望が出てきました。

世界の中心地ニューヨークにあるのだから他には無いユニークな曲をとの希望が、園児たち、職員、保護者からも有りました。そこでマンハッタンで活躍中の若手ミュージシャン迫彰一郎さんに依頼することになりました。迫さんのお父上が玉川学園小学部元校長、作詞家と言うこともあり、岡本徹学園長が東京の迫先生のお宅を訪ね打合会を持ちました。

そこで説明されたのが、学園とマンハッタンの間に悠々としたハドソン川が流れ、緑溢れる広々とした環境の中で子供たちはのびのびと過ごしていること。また鳥、リス、鹿の多い学園を取り巻く豊かな自然の説明をしました。GW橋を渡れば世界中の人々が集うマンハッタンがあること。その様子を見ている学園の園児たちにも将来コスモポリタンとして大きく飛び立ってもらいたい学園の気持ち。ハドソン川の下流には自由の女神が地域のシンボルとして我々の姿を見つめている。などをお伝えしました。

出来上がった学園歌はシンセサイザー伴奏でアップテンポの素晴らしい曲でした。毎週の朝の会や式典で皆で大きな声で歌い、すぐに大切な学園の宝物となりました。

のちに学園音楽専科の福山哲生先生によりピアノ曲にも編曲され現在に至っています。3年ごとに東京とNYで開かれるファミリー同窓会では参加者全員での合唱になり、いつまでも心に残る素晴らしい学園歌となりました。

学園歌(作詞:迫 新市郎/作曲:迫 彰一郎)は、学園案内のページでお聴きいただけます。

13年ぶりに訪ねた学園で

川吉 里季さん ニューヨーク育英学園同窓会・日本支部会長(当時)/2006年8月

第19回ファミリー同窓会おめでとうございます。同窓会日本支部会長の川吉です。今回は日本国内での同窓会を離れ、初めてのニュージャージー校での開催です。残念ながら、僕は参加できませんが、皆様には楽しい一時を過ごしていただきたいと思います。

さて、僕は、Ridgefield にありました『よいこの学園』幼児部・年少組から、Englewood Cliffs の『ニューヨーク育英学園』小学部・三年生まで在園しておりました。現在は大学で建築の勉強をしています。昨年9月、夏休みを使って13年ぶりに単身学園を訪れました。

その時、運動会に参加し保護者の方々と一緒に綱引きをすることが出来ました。僕が在園中によく遊んでいたグランドとは違い、すっかり気持ちの良い芝生のグランドに生まれ変わっていました。校舎も、教室や職員室の様子が変わっており少し驚かされましたが、先生方の生徒に対する姿勢には暖かいものを感じ、また、子供たちのノビノビと遊んでいる様子を見て、変わらない学園の雰囲気に触れることが出来ました。

ところで、学園の同窓会ホームページで、昨年・今年と、大陸横断旅行を募集していたのをご存知でしょうか。西海岸より出発し、グレイハウンドでニューヨーク育英学園を目指す、というものでした。事情により今回は断念しましたが、機会があればホームページ上にてまた募集しますので、よろしければご参加ください。その他、ファミリー同窓会でなにか面白い企画や希望がありましたら、是非ご意見をお聞かせください。出来る限り実現させていきたいと思っています。

それでは、ニューヨーク育英学園同窓会の成功と学園のますますのご発展を祈りつつ、会長挨拶と代えさせて頂きます。

2006年8月25日、ニュージャージーの学園園舎で開かれた第19回ファミリー同窓会によせていただいた会長挨拶です。この日の様子は同窓会の思い出でご覧いただけます。

尾関 日茉里さん

尾関 日茉里さん

Himari Ozeki

在籍年:2008〜2015年
全日制(現インター) 年長〜小6
日本帰国後、早稲田実業中等部、早稲田実業高等部早稲田大学をへて、2025年春より総合商社入社

Q. 日本帰国後、学園での経験はどのように活かされましたか。

A. 日々の授業ではもちろん、現地の学校や機関との交流などを通して人前で発言する経験を得ることができました。また、児童の転出入が多かったため、違う環境で生活していた人とすぐに仲良くなれる力が身につきました。これらを活かして、日本帰国後は学級委員や生徒会長など、先頭に立って人をまとめる役割を務めました。

Q. 日本語力と英語力について、ニューヨーク育英学園での学習経験の影響を踏まえてお聞かせください。

A. 両言語をバランスよく学ぶことができました。アメリカに7年住みながらも、帰国後は私立の日本の中学で問題なく日本語を使え、英語に関しても、学園で毎日の英語の授業や金曜英語を通じて英語力を伸ばすことができたので、大学や就職で活かせるだけの英語力が維持できています。

前田 星冴さん

前田 星冴さん

Shogo Maeda

在籍年:2012〜2015年
全日制(現インター) 小4〜小6
2016年日本帰国、東京大学工学部でロボット研究
2025年春より同大学大学院にて研究継続中

学園生活で得た1番のものは、「友達」!

私は小4(2012年)から中1(2016年)までニュージャージーに住み、小6まで全日制でお世話になりました。全日制では生徒会長をやらせていただき、アフタスクールも野球とダブルダッチクラブに入り、特にダブルダッチは帰国直前まで続けました。

全日制の生活は楽しい日々の中に貴重な経験をするチャンスがいくつも散りばめられていて、今では考えられない体験をしていたのだと帰国してから気づきました。金曜英語の日や校外学習では異文化を知り、交流することができました。みんなで仮装するハロウィンパーティは特に印象深く、日本人学校に通いながら、アメリカ文化を最大限感じられた3年間でした。

全日制NJ校5年生時の金曜英語の日でのホリデーパーティーにて

帰国してからは東京に住み、現在は東京大学工学部でロボットの研究をしており、来年から大学院に進学し、研究を続ける予定です。

帰国から8年経った今でも、育英での日々は鮮明に覚えています。特にダブルダッチはアポロシアターの舞台に立つという貴重な経験をさせていただき、チームスポーツの中で大きく成長できたと感じています。

大学に入ってからダブルダッチを再開し、日本予選を勝ち上がり、2度アポロシアターに再挑戦することができました。大会の際には育英学園も伺い、懐かしい学園を見て先生方とお話できてよかったです。遠征に際しご支援いただいた方や応援してくださった方にはこの場をお借りして改めて御礼申し上げます。

あの興奮と感動をもう一度! はるばる日本から遠征し、再挑戦したアポロシアターでのダブルダッチの演技

そんな育英生活で得た1番のものは友達です。当時の同級生とは帰国してからも連絡を取り合い、何度も会っていて、最近は年に数回飲み会も開催しています。毎回育英での思い出話に耽り、他では味わえない懐かしい気持ちでいっぱいになります。

これからの将来について、具体的なイメージはありませんが、日本だけでなく、世界を股にかけて活動することができるような仕事に就き、活躍したいと思っています。

出典:学園機関誌「フレンドシップ」2024 AUTUMN VOL.22 P.15「シリーズ ~先輩から一言~」(2024年12月発行)。

児玉 京子さん

児玉 京子さん

Kyoko Kodama

在籍年:2010〜2012年
サタデースクールNJ校 小4〜小6
現地校ミドルスクールを卒業して日本帰国、ICU高校、武蔵野美術大学造形学部基礎デザイン学科を卒業
紙製品のデザイン会社に勤務(2023年秋 寄稿時点)

私はニュージャージーに2008年から2015年までの7年間暮らし、ニューヨーク育英学園には小4(2010年)から小6までサタデーに通いました。4つ下の弟は年少(2008年)から年長まで全日制、小1から小5までサタデーでした。弟が全日制のときは、同じ街に住んでいた岡本園長先生が、スクールバス代わりに自家用車で、毎日弟を育英まで送ってくださったこともありました。弟は今年夏からアメリカの大学に通っています。

アメリカに来た時私は小2、弟は4歳でした。もちろん英語は話せません。平日は現地校に行きましたので、土曜日だけは日本語の雰囲気にホッとしたのを覚えています。育英では運動会やスキー教室、習字体験、ピアノ教室など楽しいことがたくさんありました。その中で一番の思い出と言えば何と言ってもダブルダッチです。私も弟も、帰国するまでずっとやっていました。加藤先生が技を教えてくれて、できるようになるととても嬉しかったです。アポロシアターでの大会にも何度か出て、2012年にはノバイスのフュージョン部門で優勝することもできました。今でも時々趣味で跳んでみますが、やっているととても楽しいです。

英語は言葉が出てくるまで1年半くらいかかりましたが、その後は現地校でも楽しく過ごしました。英語を習得する時に必要なのは日本語の基礎だと思います。日本語の語彙力は英語のレベルに直結します。現地校のみんなと違い土曜日までなぜ学校に行くのかともやもやした時もありましたが、サタデーにがんばって通って本当に良かったと思います。今も弟とは日本語と英語の両方で話しています。

帰国後は、美術大学でデザインの勉強をしました。4年生の卒業制作では、糸とLEDを使った、光と影のインスタレーション作品を制作し、優秀賞をいただきました。現在は紙製品のデザインをする会社で働いています。また、個人の活動として、来年2月にギャラリーを借りて作品を展示する予定です。在米中にたくさん美術館巡りをしたことが今に生きていると思いますし、人とは違う視点を持つことができて、アメリカでの経験は全て私の財産です。アメリカにいた時は日本が恋しかったですが、今はアメリカが恋しいです。みなさんもアメリカにいることを楽しんでください。今がとても貴重な時間なのだと後から気づくかもしれません。

またアメリカに行ける日が来たら、育英学園に遊びに行きたいです。変わらずにいつまでもそこにあってほしいです。

出典:学園機関誌「フレンドシップ」2023 AUTUMN VOL.21 P.14「シリーズ ~先輩から一言~」(2023年11月発行)。文中の「今年夏」「来年2月」は寄稿時点のものです。

植村 彬子さん

植村 彬子さん

Akiko Uemura

在籍年:2000〜2010年(幼稚園〜中3)
育英サタデースクールマンハッタン校(小2の1年のみ父の仕事で日本のインターナショナルスクールに在籍)
2017年コロンビア大学(ラテンアメリカ・イベリア半島文化学部)卒業
2025年イエール大学大学院(スペイン語ポルトガル語学部)博士課程卒業。全米大学ヒスパニック名誉協会イエール大学支部所属
博士論文「Scripted Subversions: The First Jesuit Japan Missions Un-Idealized in Early Modern Spanish Jesuit Japonicas
2022年 東京大学史料編纂所の外国人研究員としても在籍。(2026年9月 Web調査)
2025年9月より京都の国際日本文化研究センターにてポストドクター

サタデーで育んだ探求心、アメリカ名門大学を経て日本へ――比較文化研究に挑む研究者の歩み

Q. NY育英学園在籍中のことについて、簡単に教えてください。

A. 私は2000年から2010年(幼稚園から中学校3年)までを、育英サタデースクールマンハッタン校にて学びました。その間、小学2年の1年のみは、父の仕事の関係で日本のインターナショナルスクールに在籍しました。

Q. 学園での思い出の中で、特に印象に残っている授業や行事、先生とのエピソードがあれば教えてください。

A. 育英サタデースクールマンハッタン校にての日々は、本当に思い出深いです。作文の課題において、日本語を書く貴重な機会をいただき、それ自体が大きな学びとなりました。創造力の訓練はもとより、私の言語上の自己認識形成の基礎となりました。

国語の授業で、短歌に触れましたことも印象深い学びでした。忘れ難い記憶や想いを五七五七七の31音で綴ることができる素晴らしさに大変感銘を受けました。今でも、短歌を詠むことは私の趣味のひとつになっています。

いつぞやが 學び舎にこそ 我が礎 ありけるを思ひ いと有難けれ

友人たちと共に、様々な生き物を観察したセントラルパーク動物園への遠足、皆で楽しく過ごした運動会、体育の授業におけるドッジボールもまた素晴らしい思い出となっています。

休み時間に、私が以下のなぞなぞクイズを出したところ、友人たちのみならず、先生も参加してくださったのが、とても思い出深いです。
問題:名前をあてましょう「4🐭2」ヒント:歴史上の人物(答え:よしつね=源義経公)*よん(よ)、四(し)、Two(つ)、ねずみ(ね)

この場にて、先生方に心より篤く御礼申し上げるとともに、友人たちにも感謝したいと思います。

サタデースクールで日本語の豊かさを学んだ

Q. NY育英学園で学んだことの中で、今のご自身にとって特に役立っていると感じることは何ですか?

A. 学園では、たくさんの得難い学びがありました。

特に日本語の豊かさを学ぶことができたことで、私は日本語を第一の母語と認識することができました。また、このことがその後の多言語学習や研究(英語、スペイン語、ポルトガル語、ラテン語)の礎となりました。さらに、日本語を他言語とを比較することが多くなり、比較文化研究の基礎ともなりました。

サタデースクールの休み時間には読書が奨励されていましたので、読書習慣を身につけることができました。当時児童向けの文学、伝記を多読したことが、現在の研究における読解、考察力に役立っています。

また、敬語の授業により、礼儀を心掛けるようになりました。おかげさまで多様な方々との交流、会話ができるようになりました。

Q. NY育英学園での学びが、大学・大学院での研究や海外での生活にどのような影響を与えたと思いますか?

A. 学園での学びは、博士課程においての研究、文章の基礎になったと考えています。例えば、自由研究において、探求する愉しみや主題を選択し自主的に研究を進めることを経験しました。このことは研究者を志す契機のひとつとなりました。イタリアのシチリア島の歴史を自由研究の主題に選んだことは、現在の研究において、文学考察に加えての歴史研究の基礎となりました。

つまり、学園で学んだことを、年月を経て、博士論文にも反映させることができたのです。

Q. 現在のご研究内容やご活動について、差し支えない範囲でご紹介いただけますか?

A. 今年度5月にイエール大学大学院スペイン語ポルトガル語学部博士課程を卒業しました。

博士論文は英文でしたが、論文を書くにあたり、日本語の様々な二次資料を参照致しました。その博士論文にて、17世紀にイエズス会がその布教成果を宣伝し権威を示す為に上演したスペイン語劇が、日本での布教の非理想的な側面を意図せずに明らかにしてしまっている現象を研究しました。

また、イエール大学院にてスペイン語およびスペイン語文化の教授資格も博士号と併せて取得しました。今年の9月からは、京都の国際日本文化研究センター(日文研)にてポストドクターを務めます。

<受賞歴・取得資格>

  • 2010、2011年 アメリカ古典学会から『最優等賞(Summa Cum Laude)』を受賞
    “Summa Cum Laude” merits from the American Classical League, for outstanding performances in National Latin Examinations
  • 2016年 コロンビア大学にて人文学分野におけるホークス学部長記念賞を受賞
    Dean Hawkes Memorial Prize in the Humanities: “Awarded annually to the member of the junior class who is judged to be the most deserving on the basis of work in the Humanities”
  • 2017年 コロンビア大学にて、ラテンアメリカおよびイベリア文化の研究においてスーザン・ハンティントン・ヴァーノン賞受賞
    Susan Huntington Vernon Prize: “given to the Columbia College senior major who has demonstrated excellence in the study of Latin American and Iberian Cultures”
  • 2025年 イエール大学院スペイン語、スペイン語文化教授資格取得

Q. 最後に、在校生や保護者の方々、また入学を検討しているご家庭へメッセージをお願いします。

A. ニューヨークにお住まいでお子様の日本語学習を検討されている場合、NY育英学園の入学をお勧め申し上げます。

お子様にとって、学園での日本語学習は、必ず実りがある体験となります。幼少の頃より日本語、日本文化を体系的に体験する機会がたくさんあることはもとより、学園ならではの素晴らしい先生たちや友人たちとの出会いは得難いものがあります。

現地校に通い、宿題や課題をこなしていくだけでも大変なことです。それに加えて週末も通学することでご御苦労もあるでしょう。私自身もそうでした。それでも、いつか、NY育英学園に行って本当に良かった、と思えることがあると思います。ぜひ、学園にての学びを体験されてはいかがでしょうか。

有馬 弥亜さん

有馬 弥亜さん

Mia Arima

在籍年:2012〜2018年
全日制(現インター) 年少〜小3
現地校転出に伴い育英サタデーマンハッタン校に編入(小3〜中3)
2025年4月 Stuyvesant High School から渋谷教育学園幕張高等学校に転校、大学はアメリカに帰国予定

Q. NY育英学園を選んだ理由をお聞かせください。

A. [保護者] 両親が米国永住の日本人であるにも関わらず、全日制に入れたことで、当時は「英語が遅れるのでは」と周りから心配されました。ですが「まず親の母国語の基盤をきちんと築いてから英語を学ばせたい」との想いが成功し、今では日本生まれのお子さんと比べても遜色ない日本語会話力を持ちながらも、NY市有数の難関高校(Stuyvesant)に進学することができました。(同校にも育英っ子、沢山おります) その後、高校で日本留学をどうしてもしたいと言い出し、現在は日本で両校、ひいてはアメリカと日本両国の架け橋となるべく勉強に勤しんでおります。

全日制で、現地校レベルの英語クラスで学習できたおかげで、小2の1学期に英検2級に合格できたのも良い思い出です。娘は3年生までしか全日制に通いませんでしたが、6年生まで居させれば良かったと思っております。

福澤 秀憲さん

福澤 秀憲さん

Hidenori Fukuzawa

2014年、法政大学理工学部機械工学科航空操縦学専修卒業。株式会社AIRDOに入社。ボーイング737のパイロットとして乗務(2020年春 寄稿時点)
2019年11月 副操縦士に昇格。(2026年9月 Web調査)

「自信と臆する事なく挑戦する心を育ててくれた育英学園」

1999~2000年、当時小学2年生だった私は父の仕事でアメリカに移住する事になりました。数カ月間はロサンゼルスに住み、その後ニュージャージーへ移り、ニューヨーク育英学園に転入することになりました。

登校初日、緊張していた私を先生やクラスメイトの皆が笑顔で温かく迎え入れてくれた事がとても嬉しかったのを覚えています。クラスメイトのほとんどが幼稚園の頃からアメリカにいる方ばかりで、「日本の学校ってどうなの?」「ポケモンって流行ってる?」と質問攻めにあいました。学年問わず、生徒の皆さまや先生方が私を受け入れて下さり、すぐに沢山の友達が出来ました。

生徒主体の授業も私にとって新鮮で、お互いを尊重しつつ意見を言い合える良い環境で学ぶ事ができ、放課後は部活動のサッカーで汗を流し、毎日がとても楽しかったです。

日本の教育の仕方では、「みんなと一緒であることが正しい」という事が多いように思います。育英学園では先生方が個人と向き合い、個性を受け入れ、目立つ能力を更に伸ばしてくれた事が今の自分の軸に繋がっています。

学園生活で1番の思い出は、学園祭で「Many Moons」という演劇をした事です。台本を覚えて、何回も練習したり、資料を読みながら小道具を作ったりと、本番が近づくにつれてワクワクしていました。私は本番で何度もミスをしてしまいましたが、周りの皆が助けてくれたおかげで無事終えることができました。先生をはじめ、全員で一つのモノを作り上げた達成感は格別でした。一つの目標に対して、皆で考え作り上げていくとても良い経験でした。

楽しかった日々はあっという間に過ぎ、登校最終日は皆と離れたくない、日本に帰りたくないと大泣きした事を覚えています。今までのどんな卒業式よりも別れが辛い日でした。育英学園は間違いを臆せず、恥らわずに自分を表現できる場所です。

日本人は頑張っている姿を他人に見せることを恥ずかしがる傾向があると思います。しかし育英学園は互いの努力を素直に賞賛し、切磋琢磨できる環境でした。

私は現在、AIRDOという日本の航空会社でボーイング737のパイロットをしています。主に本州と北海道の各地を結ぶ国内線と、アジアへの国際チャーターを行なっています。日々変わる気象条件の中、たくさんのお客様を目的地まで安全に送り届けること、ジェット旅客機を自分の手で操縦するということにとてもやりがいを感じています。また巡航中、日本の四季折々の景色を上空から眺めることが出来る事もこの仕事の醍醐味と言えると思います。

私がパイロットを志したのは、幼い頃から父の仕事や、旅行で飛行機を利用している時に「こんな大きな飛行機を飛ばしてるパイロットかっこいいなー!」と思ったことがきっかけでした。自分の将来を考えていくにつれて漠然としたパイロットへの憧れから夢に変わり、パイロットの訓練ができる大学へ行くことを決意しました。

日々運航する中で大切にしていることは、飛行機は1人で飛ばしているのではなく、地上職、整備士、運航管理者、客室乗務員など多くの方々と協力して成し得ているということです。その為に皆の力が最大限に出る雰囲気を大切にし、意見を出し合う様に心掛けています。

育英学園での一人一人に向き合い、個人の意見を尊重しながら一つの目標を皆で成功させるという経験が、今の私の軸になっています。いつか思い出の地、ニューヨークに、自身のフライトで降り立つことが目標です。

出典:学園機関誌「フレンドシップ」2020 SPRING P.9「シリーズ ~先輩から一言~」(2020年5月発行)。

飛田 菜摘さん

飛田 菜摘さん

Natsumi Hida

在籍年:1991〜1996年 (3歳〜8歳)
2012年東京外国語大学英語専攻卒業。株式会社東芝入社。電力部門(現・東芝エネルギーシステムズ株式会社)にて海外営業を担当(2020年冬 寄稿時点)

私は3歳から8歳までの5年間、ニューヨーク育英学園に在籍していました。四季折々、たくさんの思い出がありますが、冬といえば、雪にまつわる思い出が多いです。ニュージャージーには雪がたくさん降り、ある日には、乗っていたスクールバスが雪溜まりで立ち往生してしまったことがありました。私が乗っていたのは、学園のバスの中で一番大きなバス「ライオン号」だったのですが、どうしても雪溜まりから抜け出せずに、一番小さなバス「リス号」が助けにやって来たのです。私たちは「リス号」に乗り換え、無事家に帰ることが出来たのですが、大きなバスを小さなバスが助ける様子は絵本の物語のようで、当時非常に印象に残りました。アメリカならではの行事では、ニューヨーク育英学園と地元の小学校との交流事業もありました。生徒がお互いの学校を訪問し合うイベントで、ニューヨーク育英学園に地元の小学校の生徒さんを招待した時には、折り紙を折ったり、習字をしたりと、学園の教室毎に、日本文化を体験してもらうコーナーを作りました。私は、受付で入場チケットを回収する係を担当したのですが、片言ながら相手に英語で話しかけるのが楽しく、夢中でチケットを回収したことを覚えています。私は8歳で日本に帰国することになりましたが、大学生になり、アメリカに交換留学をした際、久しぶりにニューヨーク育英学園を訪問させて頂く機会がありました。思い出のまま変わらない校舎にて、懐かしい先生方にもお会いするこができ、とても素敵なひと時を過ごすことが出来ました。

現在は東芝エネルギーシステムズ株式会社にて、タービン発電機の海外販売を担当しています。タービン発電機は発電所で利用されている装置で、私が担当するお客様の多くが、海外の電力会社です。お客様の発電所で老朽化している装置の交換や補修の提案の他、新しく建設する予定の発電所への装置の販売を行っています。装置はかなり巨大で、日本から海外へ輸送する際には、専用の貨物船を一隻チャーターする必要があるほどです。発電装置の品質が発電所全体の性能を左右することもあり、お客様が来日し、製造を視察にいらっしゃることも多いのですが、私は現在でも、お客様をご案内する仕事が一番好きです。「三つ子の魂百まで」と言いますが、ニューヨーク育英学園での国際交流の体験が、現在の私の原点になっているのではないかと思います。環境問題への取り組みの中で、発電の在り方も大きく変わりつつありますが、今後もお客様との丁寧な会話を大切に、電気のある便利な暮らし作りに貢献していきたいと思っています。

出典:学園機関誌「フレンドシップ」2020 WINTER P.11「シリーズ ~先輩から一言~」(2020年1月発行)。

堀川 隆弘さん

堀川 隆弘さん

Takahiro Horikawa

在籍年:1986〜1990年
小学部(当時「よい子の学園」)
東京大学理学部数学科卒業。米Yahooでソフトウェアエンジニアとして勤務後、curiosity株式会社を創業。XR/AR領域のボリュメトリック動画基盤「Rememory」やARアプリ「AVATAVI」等を手がける代表取締役を務める。(2026年9月 Web調査)

「二度の在米経験を経て起業、私を形作るアメリカの空気」

私は日本の幼稚園を卒業後、父親の転勤に伴いNJに移住しました。NY育英学園には、「よい子の学園」という名前だった1986年から1990年まで在学していました。当時小学校の部ができてから、私たちが最初の代の児童生徒、ということになります。

もう30年前ということで、在学中の記憶は断片的にしかないのですが、とにかく仲良く、自由だったことを覚えています。私の記憶の中で、友達たちとあんなにグラウンドを駆け回った記憶はあの頃しかありません。日本人のコミュニティでありながら、おおらかで明るいアメリカの雰囲気を合わせ持つあの場所は、過去を振り返っても唯一無二のものだったと実感します。

社会人になり何年か経って、私にはもう一度アメリカに住む機会がありました。当時ソフトウェアのエンジニアとしてキャリアを積んでいた私は、いつか世界を舞台にして働きたい、特にシリコンバレーという世界でも最高峰の会社や人材が集まる場所で働きたい、と思っていました。様々なチャレンジの末に、思わぬ幸運も重なり、現地の会社から転職のオファーをもらうことができたのです。

その後約2年半、周りに日本人がほとんどいないような環境で働きました。アメリカと日本と文化の違い、良いところ悪いところ、小学校当時はまったく気づかなったことに気付かされました。アメリカ、特に西海岸の方が顕著かもしれませんが、良くも悪くもおおらかで、多様な価値観が許容されている点は、日本に帰国してからも大事にしたい価値観になりました。

アメリカに比べて、日本が良いなと思っているところは、日本(特に東京)にいると成功に対する焦燥感が刺激されることです。アメリカだとどんな生き方でもまあ許されるかなとのんびりしてしまうところを、東京にいるとそんな余裕はなく、どんな道を選ぶにせよ、成功しなければというプレッシャーを与えられているような気分になります。人によるとは思いますが、私はそういったプレッシャーも好きです。

私は今東京でcuriosityという会社を経営しています。それまでずっとソフトウェアエンジニアという職業でやってきましたが、今度は未来に向けた新しいテクノロジーを使ったエンターテインメントを作るという、より大きなビジョンを掲げて様々なチャレンジをしています。ずっと好きだったことをやってきたので、今も仕事と趣味の境目がありません。好きだったことを貫いてやってこれること自体が、当時生活したアメリカの生活感が影響しているかもしれません。いつか私たちの作ったエンターテインメントを持って、アメリカに凱旋できたらいいなと思っています。

出典:学園機関誌「フレンドシップ」2019 AUTUMN P.14「シリーズ ~先輩から一言~」(2019年11月発行)。

大倉 弘さん

大倉 弘さん

Hiroshi Okura

在籍:1986年頃〜約3年間(3歳〜5歳)
1983年ニュージャージー州生まれ
一橋大学商学部卒業。東京海上日動火災保険にて保険の商品開発を担当(2019年 寄稿時点)

私は1983年にニュージャージー州で生まれ、5歳までパリセードパークで育ちました。その間、3歳から約3年間「よい子の学園(NY育英学園の旧称)」に通いました。また2歳違いの弟も僅か3か月間だけでしたが、兄弟でお世話になりました。当時の思い出は残念ながらうっすらとした記憶しか残っていませんが、帰国後に両親から当時の様々な話と共に写真や動画を見せてもらい、とても楽しかったのだなあ、と感じていたものでした。

NY育英学園の歴史を拝見しますと、私はニュージャージー校が開校して2年ほど経った頃に通い始めたようです。当時日本人向けの幼稚園はほとんどなく、私の在籍していた3歳児クラスの様子が、写真つきでニューヨークタイムズに掲載され、その記事はアルバムに大切に保存されています。

大学4年の時に現在の就職先が決まった後、家族でニューヨークへノスタルジックツアーに行ったのですが、その際に17年振りにNY育英学園も訪問させていただきました。私の通っていた当時はリッジフィールドの校舎でしたが、初めてのイングルウッドクリフスの校舎で、岡本園長先生や私の担任であった中畑(小山)仁美先生に歓迎していただきました。園長先生はこと細かな思い出話まで語って下さり、改めて先生方の子ども達に対する愛情の深さを教えて頂いた次第です。仁美先生は、その3年後に亡くなられたお知らせを頂きとても残念ですが、お元気な時に再会できて貴重な機会となりました。

中学、高校時代には英語で苦労し、当時はアメリカにいたのでもっと英語を勉強させてもらっていたらと思う時もありましたが、両親の方針で母国語の基礎をしっかり学ぶために「よい子の学園」に通うことになりました。自分も親となり、母国語を大切にしたかった当時の両親の思いもよくわかるようになりましたが、現在のNY育英学園のカリキュラムやイベントの様子を拝見していますと、少々羨ましい気持ちにもなります。

現在、仕事では保険の商品開発を担当しておりますが、ビジネス上のグローバル化が更に進んでおり、海外の保険会社と連携しながら仕事をする機会も増えております。英語は勿論のこと、海外の多様性へ子ども時代に触れる事は大変貴重な機会だと思います。後輩にも当たる園児の皆様には、是非様々な経験をして、健やかに育って欲しいと心から願うばかりです。

今後も、NY育英学園の益々の発展を祈念しております。

出典:学園機関誌「フレンドシップ」Spring/2019 P.12「シリーズ ~先輩から一言~」。

金田 萌永さん

金田 萌永さん <陶芸家>

Moe Kaneda

在籍年:2007〜2010年
全日制小学部 4年生〜6年生
2020年 武蔵野美術大学 造形学部 工芸工業デザイン学科卒業。滋賀県内で作陶する陶芸家として独立し、日本工芸会正会員として活動中。2021年 第50回日本伝統工芸近畿展にて新人賞受賞(「練込組皿『bloom』」)。2026年4〜5月、京都のギャラリーsophoraにて個展開催。(2026年9月 Web調査)

Q. NY育英学園に在籍していた期間(学年や在籍部門)を教えてください。

A. アメリカには2007年から2012年まで住んでおり、そのうちの約2年半(2007年~2010年)、NY育英学園の全日制小学部に在籍していました。4年生の2学期に編入し、小学部を終えるまで通っていました。

Q. 退園後の進路や、その進路を選んだ理由について、差し支えない範囲で教えてください。

A. 中学3年生の春に日本に本帰国しました。その後、都内の高校、大学は武蔵野美術大学に進学しました。大学卒業後は滋賀県に拠点を移し、陶芸家として独立しました。

現在は「練込」という日本の伝統的な陶芸技法を使った作品を制作しています。大学生のときに美術館で偶然、人間国宝の先生による練込作品に出会ったことが大きなきっかけでした。その美しさに強く惹かれ、独自に試行錯誤を続けてきました。

幼い頃から細かい作業やものづくりが好きだったこと、そして日本の伝統文化への憧れもあって、今の道につながったのだと思います。

Q. 学園での思い出の中で、特に印象に残っている授業や行事、先生とのエピソードがあれば教えてください。

A. 日本の教科書の内容の学習以外にも、書道や俳句の授業、田植えや餅つき大会など、日本の文化や行事に触れる機会が多くありました。特に印象に残っているのは、日本から切り絵のアーティストの方がいらして、ワークショップを行ったことです。当時のNY育英学園では、学年の締めくくりの共同制作として一つの作品を作るのが伝統だったのですが、私たちの学年はその影響で、切り絵状の大きな壁画を制作しました。

2009年度に小学部を終えた学年が制作した切り絵

2009年度に小学部を終えた学年が制作した切り絵です。
切り絵は、今もNJ校東門入口近くの壁に飾ってあります。学園訪問の際はぜひご覧ください。

学園で出会った創作の楽しみが今の私を形づくる

Q. NY育英学園で学んだことの中で、今のご自身にとって特に役立っていると感じることは何ですか?

A. 遠足でよく訪れていたメトロポリタン美術館や、修学旅行で行ったスミソニアン博物館など、幼い頃に世界の芸術文化に直接触れられたことは、今思うととても貴重な経験でした。

世界中の芸術品が数多く並ぶ中で、日本の美術工芸品も並んでいて、それらが海を超え時代を超え世界中の人たちに感動を与えているのが、子供ながらにとても印象的でした。

その体験が、日本の伝統や芸術文化を未来に伝えていくような仕事に携わりたいと思うようになった、最初のきっかけのひとつでした。

Q. そのほかニューヨークでの生活で印象的だったこと、海外での生活はその後の日本での生活にどのような影響を与えたと思いますか?

A. 毎年家族でニュージャージーのバルーンフェスタを見に行っていました。日の出とともに膨らみはじめ、風に乗って次々と空へ飛び立つ熱気球にとても憧れて、いつかは乗ってみたいなと思うようになりました。気球について調べていくうちに、日本ではかつて学生や冒険家が熱気球を自作して空を飛んでいたという本を読み、ものづくりが好きだったということも相まって、いつか自分の作った気球で空を飛びたいと思うようになりました。

その影響で帰国後、高校生の時には仲間とともに3年間かけて小型の熱気球を制作しました。その後、もっと広い空を飛んでみたいと思うようになり、全国各地に遠征してフライトしたり、競技大会にチームの一員として参加したりしています。現在は、滋賀県の気球の飛ぶ街にアトリエを構えています。

Q. 最後に、在校生や保護者の方々、また入学を検討しているご家庭へメッセージをお願いします。

A. 帰国後、日本の学校に無理なくなじむことができたのは、NY育英学園での生活のおかげだと思っています。また、当時の同級生たちもそれぞれの分野で個性豊かに活躍していて、大人になってからも近況を聞くのがとても楽しみです。

異国の地で学びながら、日本の文化の素晴らしさに改めて気づけたのは、私の人生にとってかけがえのない経験でした。

金田萌永さんの陶芸作品

「練込」とは、異なる色の土を組み合わせ、その断面で模様を描く日本の伝統的な陶芸技法です。この技法をもとに、私の作品は小さな金太郎飴のようなパーツを一つひとつ作り、それらを組み合わせることで緻密な模様を描いています。

2024年春に大阪のギャラリーで展示を行った際、NJからのお客様がお越しになり、作品をご購入いただきました。かつて私が暮らしていた街へと作品が旅立って行ったことが、とても嬉しく心に残っている出来事のひとつです。

金田さんの作品は、ホームページ(moekaneda.com)・Instagram(@moe_kaneda_)でもご覧いただけます。

河野 雄山さん

河野 雄山さん <高校生>

Yuzan Kawano

在籍期間:小学6年生の秋〜中学3年生の夏(約3年間)
育英サタデースクールマンハッタン校
2025年9月より慶應義塾ニューヨーク学院(高等部)へ進学(2025年夏 寄稿時点)

サタデースクールから広がった未来――慶應義塾ニューヨーク学院進学

名前の由来は、漫画『美味しんぼ』の登場人物の海原雄山から。六年間の海外生活経験あり。
趣味は、ゲームをしたりアニメを見たり、YouTubeを見たり音楽を聴いたり、一人でいろいろな場所に行くこと。
好きなゲームは『ポケットモンスター』(特に『サン&ムーン』)や『星のカービィ』(特に『ロボボプラネット』)、アニメは『ソードアート・オンライン』。
好きな音楽は、井上陽水さん、鈴木雅之さん、村下孝蔵さん、布施明さんの曲。
これまでに、日本帰国時に鎌倉や奥日光などへの一人旅を楽しんだ。

Q. NY育英学園に在籍していた期間(学年や在籍部門)を教えてください。

A. 私は小学六年生の秋から中学三年生の夏まで、おおよそ三年間、育英サタデースクールマンハッタン校に在籍させていただきました。

Q. 学園での思い出の中で、特に印象に残っている授業や行事、先生とのエピソードがあれば教えてください。

A. 中学三年生の夏には、運動会で司会を務めさせていただきました。いくつかミスをしてしまったのですが、「とても良かったよ」と言っていただけたことが印象に残っています。

司会を務めた中3時のサタデースクールM校の運動会

Q. NY育英学園で学んだことの中で、今のご自身にとって特に役立っていると感じることは何ですか?

A. 私の中で一番役に立ったのは数学です。何せ私は英語が全くダメで、現地校ではなかなか理解が進みませんでした。そんな頃、サタデースクールで日本語で算数を学べる場があり、ちょうどその内容が次の週に現地校の授業で出てくることも多く、「何をすればよいのか」が分かりやすく、学びやすかったのです。ですので、私にとってサタデースクールでの算数・数学が一番役に立つ授業でした。

現地校での生活をサタデースクールが救った

Q. NY育英学園で学んだことは、その後の学びや進路にどのように役立ちましたか?

A. 学園で学んだ中でも、社会や国語を通して得た「本の背景への理解」や「正しい解釈を促す力」は、小説などの文学作品を読む上で、なくてはならない知識だったと考えています。

学びとは少し違うかもしれませんが、前述の通り、私は英語ができず、しかも拙い英語を話したくないという面倒な性格のため、最初は友達を作ることができませんでした。そのような中で、サタデースクールで出会った日本語と英語の両方を話せる友達の存在はとてもありがたいものでした。今でこそ現地校でも友達を作ることができましたが、当時英語が話せなかった私にとって、彼らの存在はとても貴重でした。もし彼らがいなければ、私の性格はもっと内向的になっていたかもしれません。(笑)

Q. 今後の進路や、その進路を選んだ理由について、差し支えない範囲でご紹介いただけますか?

A. 今年の9月から、慶應義塾ニューヨーク学院(高等部)へ進学します。理由は、私の夢の実現に向けての一助となっていただけると考えたからです。ただ、慶應義塾に進学することも、学園での学びがなければ不可能だったかもしれません。

Q. 最後に、在校生や保護者の方々、また入学を検討しているご家庭へメッセージをお願いします。

A. お子様方が今後、日本とどの程度つながりを持つのかは分かりませんが、子どもの頃に日本語や日本の文化を学んでおくことが、将来とても役に立つこともあるかもしれません。先生方はとても真剣に教えてくださるので、とてもいい経験だと思います。

日本各所への一人旅:日光明智平、日光東照宮、高尾山、ひたち海浜公園

笠間リヅさんとお母様

笠間 リヅさん

Rizu Kasama

在籍年:2018〜2022年度(小2〜小6)
全日制(現インター)。中学受験のため学年途中に本帰国
日本帰国後、2023年6月に英検1級合格

日本語も英語もあきらめない――全日制を選んだ母と、英検1級まで駆け抜けた娘

<以下、お母様の笠間多紀子さんにお答えいただきました>

Q. NY育英学園はどのようにして知りましたか?

[保護者] 渡米前にオンラインで調べたり、主人の会社の方に尋ねたりして知りました。

Q. 渡米前、不安はありましたか?

[保護者] 娘は英語を話せるようになるだろうかと心配でした。現在(2021年)、アメリカ生活4年目になりますが、はじめは小学2年生から3年生にかけての1年間だけの予定でした。日本の先生やお友達に「1年もアメリカにいたら、英語ぺらぺらになって帰ってくるね!」と送り出され、少しは話せるようにならないとカッコつかないなと思っていました。

Q. 学校選びの決め手は何でしたか?

[保護者] 英語を話せるようになって欲しいという思いはありましたが、それ以上に母国語としての日本語の教育は大切だと思っていました。日本人学校、現地校とそれぞれに長所と短所があり悩みましたが、最終的には、文科省の定める学習指導要領に基づく教科指導を受けられ、週に10コマも英語の授業があるニューヨーク育英学園全日制小学部に決めました。

Q. 実際に入学してみていかがでしたか?

[保護者] 校舎は小さいですが、学園の41年もの歩みを知り、深い愛着を感じています。少人数制で児童一人一人の個性を尊重し、丁寧にご指導頂いていると思います。娘も毎日「今日も楽しかった」と言って帰ってきます。

Q. コロナ中どう過ごされましたか?

[保護者] ニューヨーク周辺は感染が拡大し、ロックダウンとなりました。この先どうなるだろうと親子ともに不安な時、育英学園からはすぐにオンライン授業開始のお知らせが届きました。先生方が総力を挙げフルスピードで準備してくださり、初のオンライン授業が開始されました。NY育英の先生方には本当に感謝しています。大変な一年でしたが、期せずして子どもたちがテクノロジーの世界へ一歩踏み出すきっかけとなりました。

Q. 渡米後2年半、小学4年生で英検準1級に合格されましたね! 英語学習についてお聞かせください。

[保護者] 英検は、帰国した時にアメリカで英語を頑張った証のひとつになるだろうと思い受験してきました。英検5級から2級までは連続して1回で合格できました。準1級は2回目の挑戦での合格となりました。合格した時の嬉しさは、日々の学習を頑張るモチベーションになりました。試験前は、りんごラーニングセンター(現在の育英アフタースクール語学教室)の英検対策講座でお世話になり、先生方から的確なアドバイスを頂きました。特別ハードな受験勉強はしていないので、やはり全日制での週10コマの英語の授業が大きかったのだと思います。レベルに合わせていくつものクラスがあり、学年の垣根を越え同じレベルのお友達と学習できるので、楽しみながら自然に英語を身につけることができました。

学園祭でのリヅさんの迫力あるライオンキングの演技

Q. 英語は話せるようになった?

[保護者] はい。私には発音の正しさなどはわかりませんが、アメリカ人の先生やクラスメートと英語で話しているのを聞くと、とても嬉しく思います。英語の本を読むのも、英語でレポートを書くのも大好きです。

Q. 在学中は、合唱団の一員としてスペインに行かれたこともありました。

[保護者] 私も同行し、2年生と3年生の間の春休みに行きました。きっかけは、育英学園にスペインのトマレス少女合唱団が来園し、美しい歌声を披露してくれたことでした。その歌声に感動した娘は合唱経験ゼロでしたが、風の環少年少女合唱団に入り、オーディションを受けて合格し、スペインでの国際交流活動に参加しました。スペインでは、現地の小学校を訪問したり、コンサートに出演させて頂いたりしました。また、サッカーのクラブチーム(ジュニアユース)による日本 vs.スペインの試合の前にフィールドで日本国歌を斉唱するなど、たくさんの貴重な経験をさせて頂きました。あこがれのおねえさんたちとも再会し、同じステージで歌うことができました。

合唱団の国際交流活動でスペインの小学校を訪問

Q. お母さまから見てNY育英学園の良いところは?

[保護者] 日本と同じように、あるいはそれ以上に日本の年中行事を体験できる点は素晴らしいと思います。運動会、学園祭、現地校との交流会もあります。春と秋年二回も遠足があり、宿泊研修では小学1年生でも泊りがけで出かけていきます。娘のお気に入りはハロウィーンパーティです。児童も先生方も思い思いのコスチュームに身を包み登校します。最高に楽しいそうです。夏は水泳、冬はクリスマスパーティにスケート教室、餅つき大会に書き初め大会、節分。児童会選挙も…本当に盛りだくさんで、子どもたちは一年を通し生き生きと忙しく活動しています。充実した学校生活を送ることができ、学習面でもしっかりと学べる。これこそがNY育英学園の最大の魅力だと思います。

Q. リヅさんは、昨年12月に本学園を退園し、帰国されました。日本での生活はいかがですか?

[保護者] 中学受験のため一時帰国した直後に本帰国となり、日本の小学校に編入したと思ったら、たった2か月で卒業。バタバタの数か月間を経て中学校に入学し、やっと少し落ち着いたところです。この6月(2023年)、英検1級に初挑戦し合格しました。試験対策については、日本からりんごラーニングセンター(現在の育英アフタースクール語学教室)に相談しました。オンラインを通じて懇意の先生方にご指導頂くことができ、深く感謝しています。子どもらしく自由にのびのびと過ごすことができた育英学園での日々は、娘の宝物です。主体性が大きく育ち、何事にも積極的に取り組む姿勢が確立されました。また、無理なく楽しみながら学び続けた結果、英語は得意科目となり、今も学習生活をしっかりと支えてくれています。NY育英学園を選択し本当に良かったと思います。

出典:学園機関誌「フレンドシップ」2023年度秋号。2021年春に岡本徹園長がインタビューをし、当時の内容を加筆修正したものです。

吉岡 祐輔さん

吉岡 祐輔さん

Yusuke Yoshioka

在籍:2007年頃〜約2年間
NJキャンパス全日制小学部卒業後、NY日本人学校中学部・慶應義塾ニューヨーク学院を経て、慶應義塾大学理工学部にて機械工学を専攻(2018年度 寄稿時点、大学2年生)

ちょうど10歳になった頃、私は父の仕事の都合でニューヨークに移住しNY育英学園に入学しました。もともと生まれはニューヨークでしたが、生まれてすぐに帰国してしまったため実質、初の渡米となった2007年の冬は私の人生における大きな転換点でした。

初の転校、それも海外へ。

現地校ではないとは言え、それでも初めてスクールバスに乗り込んだ時の気持ちは、これまで感じたことのない不安と期待の入り混じった、不思議なものでした。

マンハッタンからの通学だったため1時間ほどバスに揺られてたどり着いたNY育英学園は、中庭を色とりどりの卒業制作が囲み、想像していたアメリカの無機質な学校とは正反対の場所でした。

バスドライバーさんとハイタッチをし教室へと向かうと、4年生のクラスのみんなが嬉しそうに私に話しかけてくれました。この時私は自分が一人も知り合いのいない異国の地にいることを忘れ、あたかも数日前までいた日本の小学校にいるかのような温かい気持ちになったのを今でもよく覚えています。

こうして幸先の良いスタートを切った私の育英生活ですが、初日にして私は大きくつまずきました。そう、英語のクラスです。相手の言っていることが何一つ理解できないという経験は今まで全くなかったため、激しく動揺しましたが、しかしESLのクラスだったため半年もたてば自然と日常的な会話なら理解できるようになりました。英語と格闘し、昼休みになればバスケットコートで全学年混ざったドッジボールで汗を流し、最後はバスごとに並んで帰宅し…そんな2年間はあっという間に過ぎました。

迎えた卒業式の日、先生方は私達に向けて歌をプレゼントしてくださいました。「おまじない」という少しさみしげなメロディーの中に力強いメッセージが込められた、今でも私の大好きな曲です。正直なところ、寂しくて涙してしまったので冒頭部分しか覚えていないのですが、これ程心に残った卒業式はNY育英学園以外ありません。

あれから11年、大学2年生になった私は慶應義塾大学の理工学部で機械工学を専門に学んでいます。アメリカで培った英語力を活かして…と言うには少し早い段階ですが、日々課題に追われつつも充実した大学生活を過ごしています。この間偶然卒業前に帰国してしまった育英学園の同級生とキャンパスで再会し、何日かあとに二人で思い出を肴に語り合いました。長い間会っておらずお互い大人になりましたが、そこには、NY育英にいた頃と変わらない光景が広がっていたように感じます。

卒業しても帰国しても育英での思い出は私の宝物です。

出典:学園機関誌「フレンドシップ」Winter/2018-2019 P.12「シリーズ ~先輩から一言~」。

辻山 尚志さん

辻山 尚志さん

Takashi Tsujiyama

在籍:1982年頃〜約2年間
全日制部門(当時「よい子の学園」・マンハッタン)
早稲田大学卒業後、都内法律事務所勤務を経て、2013年に「辻山・五十嵐法律事務所」を設立。一般民事事件・企業法務を幅広く取り扱う(2018年10月 寄稿時点)
東京都豊島区西池袋にて現在も開業中(2026年9月 Web調査)

「個性と自由を尊重することを教えてくれた、よい子の学園での2年間」

私は、1982年、2歳のころ、石油会社に勤める父の仕事の都合でニューヨークに引っ越しました。それから約2年間、弟とともにニューヨーク育英学園にお世話になりました。当時は「よい子の学園」という名前でしたので、今でも我が家では「よい子の学園でこんなことがあった。」等と昔話を懐かしく思い出しています。家族とともに日本に戻ってからもう35年も経ちますが、岡本先生と両親との親交は続き、今回、岡本先生が両親を訪ねてきてくださった際、この「先輩から一言」のコーナーのお話をいただきました。はるか昔に2年だけ在籍していた私が、今学園で頑張っている皆さんのお役に立つ話ができるかはわかりませんが、少しだけ「よい子の学園」での思い出をお話しさせてください。

ニューヨークと聞いて思い出す情景は、日本では考えられないような広いマンション(当時住んでいたマンションは220平米あったとか)や、エンパイアステートビル、公園の砂場で遊んだことなどです。なにしろ2歳から4歳と、ほとんど記憶がない時期なので、それらの情景が帰国後に当時の写真やビデオを見て作られた記憶なのか、実際の体験の記憶なのかははっきりしません。

当時のことを両親に聞いてみると、当時の学園はマンハッタンのど真ん中にあり、私のマンションは学園のあるビルと同じビルの中にあったようです。エレベーターに乗るだけであっという間に学園に着いてしまうのですから、私の両親からすればそんな楽な話はないですね。マンハッタンの中心という場所柄、保護者の方々は芸術家やレストランの経営者の方などが多く、その影響もあったのか、学園では英語はもちろん、絵画、楽器、踊りなど様々なクラスがあり、ニューヨークで活躍するプロや、プロの卵のような専門的な先生がクラスを担当してくれていたようです。両親の話では、当時の学園は小規模で非常に家庭的な雰囲気だったそうです。今回、岡本先生にパンフレットやカレンダーなどを見せていただきましたが、規模は大きくなっても家庭的な雰囲気は変わっていないようなので嬉しくなりました。

アットホームな学園の雰囲気は保護者同士の関係でも同じで、我が家でも学園の友達の家族を迎えてよくホームパーティーを開いていたようです。その時は日本から持参した自動餅つき機が大活躍したとか。今と比べてまだまだ日本人が少なかった当時のニューヨークで、学園の中でも外でも、みんなで知恵を出し合って助け合っていたようです。その中心にあったのが、よい子の学園でした。

学園ではたくさんのことを学ばせていただきましたが、私にとって特に大きな財産となったのは日本語のクラスでした。海外にいても日本語の言語の幹をしっかり育てることが思考の基礎と深さに繋がるという当時の学園の教育ポリシーのもと、日本語をみっちり教えていただきました。帰国後は現地の学校で英語漬けにしなかった両親に不満を持った時期もありましたが、2歳から4歳という重要な時期に日本語の学習をしっかりできていたことは、その後の論理的思考やコミュニケーション能力を向上させる上でも良かったのではないかと今では思っています。また日本語で考え、議論を交わし、人を説得し、難しいことをできるだけわかりやすく伝える文章を書くという弁護士に必要不可欠な能力の素地が作られたのも、この時の学園の教育のおかげなのではないかと思っています。

それと、私は高校生の頃から自由思想や人権思想に興味を持つようになり、それが弁護士を志すきっかけになったのですが、そういう考えを持つようになったのも、学園にいた頃にたくさんの個性を持つ方にお会いし、多様なカルチャー、考え方に触れることが影響しているのではないかと思います。目立つことが決して良いこととされず、目に見えない同調圧力が蔓延する帰国後の日本での生活の中でも、それに違和感を抱き、個性・自由を尊重して多様性を認めることの大切さを忘れなかったのは、学園での生活があってこそだと思っています。

いま、弁護士になって10年目になります。企業間の契約書の確認やトラブルの処理(企業法務といいます)や、個人の方の相続や離婚問題など(一般民事事件といいます)、色々な事件を扱っています。契約書の確認や国際的な家庭の相続問題で英語を使うこともあります。人と争う(敵がいる)という特殊な仕事ですので、人に恨まれることや怒鳴られることもあります。でも、苦しい立場にある人をその置かれた状況から救い出し、本来の姿・権利を取り戻してあげることもできるのが弁護士という仕事です。責任の大きい仕事ですが、その分やりがいも大きい仕事です。弁護士の仕事をしていると、ただ法律の知識・情報を提供するだけではダメで、自分の頭で考えて戦略的に事態に対応する能力が求められていると感じます。それと同時に、自分の考えを押し付けるのではなく、様々な悩みや苦しみを持つ方の状況を理解し、それに寄り添える共感力が大切であると思います。

残念ながら、学園で過ごした2年間のみで英語がペラペラになったわけではありませんが、学園での生活はそれ以上に大切な今の私の基礎の部分を作ってくれました。ちなみに2歳離れた弟は、帰国後ミネソタに留学し、今はドイツの大学で経済学の教員をしています。学園生活が弟にどんな影響を与えたかはわかりませんが、楽しかった学園での思い出が海外に飛び出す勇気を与えてくれたのかもしれませんね。

めまぐるしい勢いでIT技術が進歩し、そう遠くない未来に、ほとんどタイムラグがなく、違和感もなく、日本語を英語に翻訳するアプリケーションが開発されるのではないでしょうか(もうそういうものが出始めています)。昔のように英語が話せればいい大学や会社に入れるという時代は終わりになるのではないかと思います。知識もそうです。どんなことでも瞬時にインターネットで検索して知識を得られる時代が到来し、「知っている」ということの価値は昔に比べて落ちてきています。

皆さんは、いま学園で一生懸命英語の勉強をしていると思います。それはもちろんとても大切なことで、将来どのような分野に進むとしてもきっと大きな武器になってくれると思います。でもそれと同じくらい、皆さんがニューヨーク育英学園で出会った人やいろいろな考え方、自分と違う文化や考えの人と接していく経験から学んだことは、皆さんの貴重な財産になってくれると思います。「外国」で暮らすというなかなかできない貴重なチャンスですので、この機会にたくさんの人と出会い、積極的に色々な経験をして頂ければと思います。優しく、強く、柔らかい心を持ち、自分で考え、その考えを積極的に発信し、言語の壁を越えて世界中から必要とされる、本当の意味での国際人になってください。応援しています。

出典:学園機関誌「フレンドシップ」2018 AUTUMN P.15「シリーズ ~先輩から一言~」(2018年10月発行)。

堀川 智里さん

堀川 智里さん

Chisato Horikawa

在籍:1987年4月〜1990年8月
2013年5月 LIU Postソーシャルワーク修士号取得
2013年8月 Womankind(旧ニューヨークアジア人女性センター)就職(2017年 寄稿時点)

父の仕事でニュージャージーに移り住んだのは、3歳の時でした。幼稚園の3年間と、小学校1年生の一学期間をNY育英学園で過ごしました。もうずっと前のことなのですが、学園の庭で皆で遊んだこと、粘土遊びをしたこと、すいか割りやプール遊び、お遊戯会のことなど、今でも良く覚えています。また、何と言ってもNY育英学園の思い出と言えば、今は亡き小山仁美先生の笑顔が真っ先に思い浮かびます。幼稚園の3年間、仁美先生に担当して頂き、本当にのびのびと楽しく過ごせました。校庭のりんごの木から一人一個ずつりんごをもいで食べて、仁美先生のりんごにだけ虫が入っていて、「みんなのりんごじゃなくて良かったー」と笑顔でおっしゃっていたことをすごく鮮明に覚えています。

私が幼稚園から小学校に上がる時に、ちょうど学園の名前が「よい子の学園」から「NY育英学園」に変更になりました。小学校では、兄が冬に授業でスケートに行くのを羨ましく思っていて、もうすぐ自分もスケートができる!と楽しみにしていたのですが、残念ながら夏休みに帰国となってしまいました。日本に帰ってからも、アメリカで経験したようなハロウィーンやクリスマスのきらびやかさが当時の日本にはなく、親にいつアメリカに帰るのか、といつも聞いていました。

日本に帰国して大人になってからもアメリカに対する良い思い出があり、日本で大学を卒業してしばらくしてから留学を決意しました。ソーシャルワークの大学院に入学し、卒業してから現在はWomankind(旧ニューヨークアジア人女性センター)にて、色々な暴力の被害に遭った方にカウンセリングやケースマネジメントを提供しています。

NY育英学園で過ごした期間、様々なバックグラウンドを持つたくさんの素敵な方に囲まれ、多様性を大切にする気持ちが育てられたと思います。現在の仕事でもたくさんの同僚やクライアントに出会うので、見た目ではなく、一人ひとりと真摯に向き合って話し、理解し合うことを常に心がけています。日本から離れ、アメリカで過ごすこの期間は、どれだけ短期間であっても子どもにとって特別な意味を持つものだと思います。是非、今、学園に通う皆さんには、色々な人に出会って色々な経験をしてたくさんの事を吸収していただきたいです。

出典:学園機関誌「フレンドシップ」Spring/2017 P.11「シリーズ ~先輩から一言~」。

森山 京香さん

森山 京香さん <中学生>

Kyoka Moriyama

在籍:2012年5月転入〜(小学部卒業後、サタデー中学部に継続在籍)
2003年1月生まれ
卒業後は現地校へ(6G〜8G)。ダブルダッチチーム・現地校コーラス部で活躍(2017年 寄稿時点)

私は小学四年生の時に、日本からニューヨーク育英学園に転校しました。そこから卒業するまで育英学園に通い、卒業してからは現地の中学校に通っています。友達もたくさんできて、毎日とても楽しい学校生活を送っています。

まだ私がアメリカに来たばかりの頃、私は英語が嫌いでした。将来日本で暮らしてゆくのに、こんな意味も分からぬ言葉を学ばなければならないと思うと、とても気が遠くなりました。それでも、とにかくがんばろうと英語の勉強には手を抜きませんでした。当時は英語で一番下のクラスだったので、とても大変な思いをしました。それでも、他の子達に追い着きたくて、あきらめずにたくさん勉強しました。

一番下のビギナークラスでは、英語を基礎から学びました。アルファベット一つ一つの発音や、文の構成などいろいろありました。今思えば、この時学んだ基礎こそが、今の自分の英語力を大きく支えてくれているのではないかと思います。

毎週金曜日にある一日英語の日では、休み時間以外、日本語を話してはいけませんでした。英語でコミュニケーションをとるのはとても難しく、私にとってハードルの高いことでしたが、毎週やることで慣れてゆき、現地の人達との接し方や英語と日本語の頭をすばやく切り替えることが自然と身に付きました。

そのおかげで現地校にはすぐに馴染むことができました。勉強はとても難しかったのですが、友達に聞いたり学校に残って先生と宿題をしたりしました。今でも新しく学ぶことはたくさんあって、毎日英語を深く理解していっているのではないかと思います。

今思い返すと、育英学園で学んだ英語は「基本」で、現地校で学んでいるのはその「応用」なのではないかと思います。スポーツと同じで基本はとても大切で、基本がないと次の応用という道には進めない。私はそう思います。私は知らないうちに育英学園で英語の基礎を学ぶという習慣をつけ、それも応用し結びつける準備をしていたのです。あまりにも自然に身に付いていたので、このことに気付くのにとても時間がかかりました。

今はこの基本を活かして勉強をしたり、友達と接したりしています。時には通訳として活躍したりもします。でもまだまだ私の英語は未熟で知らないことばかりです。もっともっと英語のことを知って、将来日本と世界をつなぐ掛け橋になりたいと思います。

出典:学園機関誌「フレンドシップ」Winter/2017 P.11「シリーズ ~先輩から一言~」。

江原 啓一郎さん

江原 啓一郎さん

Keiichiro Ebara

在籍:1997年3月〜1999年9月(約2年半)
1991年9月23日生まれ
2016年3月早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。2016年4月NHK入局、同年6月NHK長崎放送局配属(2016年 寄稿時点)
2019年にNHK京都放送局へ異動、2021年より東京アナウンス室所属。現在もNHKアナウンサーとして「ニュースウォッチ9」等に出演中。(2026年9月 Web調査)

はじめまして。私が5歳の時、父の仕事の関係で千葉県からニュージャージー州へ移り住むことになり、約2年半、ニューヨーク育英学園でお世話になりました。

今年、大学4年の終わりにこちらにお邪魔させていただきました。スクールバスや玄関口、そして先生方を見て、すべての記憶がよみがえってくるようでした。当時の学園生活で一番印象に残っていることは、水泳の授業で、初めて水に顔をつけることができるようになったことです。当時の水泳の先生に、およそ1時間、見守っていただきながら、やっとの思いで顔をつけることができるようになりました。今では懐かしい思い出です。

さて、私は今年6月からNHKの長崎放送局で仕事をしています。主な仕事は、日々のニュース読みに加え、番組のコーナーを作ることもしています。取材に出かけ、話を聞き、ロケもしてさらに映像の編集までやります。最後はナレーションをつけて放送に出します。今は、目の前の業務で精一杯ですが、1つだけ思うことは、相手のことを理解しようとする姿勢がいかに大切かということです。取材では、限られた時間の中で相手の情熱や思いを引き出さなければなりません。

自分の価値観で人を判断せずに、まずは相手を理解しようとすると、いろいろと疑問が浮かびます。そのなかで面白いエピソードを聞くことができるかもしれません。逆に、理解する姿勢がないと、誤って人を判断してしまうかもしれません。

ニューヨーク育英学園は、いろいろな人との交流の機会を、多く与えてくれる場所だと思います。自然と自分と違う価値観を持った人を理解する能力が養えるのは、大きなチャンスです。ぜひ皆さんには、この恵まれた環境を生かしてもらいたいと、OBとして願っております。

出典:学園機関誌「フレンドシップ」Autumn/2016 P.11「シリーズ ~先輩から一言~」。

上野 創さん

上野 創さん

Hajime Ueno

在籍:1986年頃
父の駐在に伴いアメリカで出生
法政大学大学院了。2007年よりキヤノン株式会社勤務(2016年 寄稿時点)

こんにちは。私は、父がアメリカに駐在していたときにこちらで生まれ、30年ほど前に育英学園で学んでおりました。当時のことは殆ど覚えておりませんが、先生方のお手を煩わせた問題児だったと、両親から聞いておりました。

この程自分自身の仕事の関係でアメリカに赴任し、当時以来学園を訪れました。当時の問題児ぶりの話を聞き恥ずかしくなる一方、育英のOBであることに改めて誇りを持ちました。

さて、私は今日本のメーカーの現地法人で働いています。日本で作られた製品をアメリカで売る仕事をしています。外国人である日本人がアメリカ人に商品を買ってもらうには、まずアメリカ文化を理解することから始まります。

私は仕事を通じて、日本人が得意とする細かいデザインのこだわりや多機能性よりも、シンプルで誰が使っても失敗しないことの方が重要だと感じました。お客様に「日本人が作る精巧な製品は芸術品に近く、扱いが難しい」と言われたときに、この感覚・感性をものづくりに活かさなくてはと感じました。これは日本に居ては、なかなか体感することは出来ません。私は、こうした文化の違いに戸惑うのではなく、経験できたことに感謝するように心がけています。

私はNY育英学園にて、柔軟な感受性が少なからず養われたと思っています。今後益々世界との距離が縮まり、より海外の人の考え方を理解しなくてはいけない時代になります。皆さんは、既にそれが出来る環境にいます。

何か一つでも多く文化の違いを吸収して、奥行きのある引き出しを身に付けていってください。

出典:学園機関誌「フレンドシップ」Winter/2016 P.11「シリーズ ~先輩から一言~」。

厚芝 ひろみさん

厚芝 ひろみさん <アーティスト>

Hiromi Atsushiba

在籍:1986年(3歳)
1983年奈良県生まれ。2006年近畿大学文芸学部芸術学科造形美術専攻卒業、2009年鳴門教育大学大学院芸術系(美術)コース修了。2013年に奈良県桜井市でatsushibaギャラリーを開設(2015年 寄稿時点)
国展・関西国展で新人賞等を受賞、現在も画家・ギャラリーオーナーとして活動中。(2026年9月 Web調査)

私は、よいこの学園1986年に在籍していました。当時3歳だったので残念ながらあまり覚えていないのですが、帰国後も、確かにその頃の自由な校風やお国柄は、私に影響をもたらし続けたと感じています。両親が写真や映像をたくさん残してくれていたため、今でもアルバムやテープを見直すことがあり、当時の記憶を大切にしています。

3年前の夏、私は念願叶って当時住んでいた家と母校を訪ねる旅にニュージャージーに訪れました。その経験は、生涯忘れずにいると思います。その際に住んでいた家や当時の写真に写っていた家の近くの公園を訪ねたり、夜にも関わらず育英学園の先生方とお話させていただく機会を持ったりすることができました。

そして今年の夏、東京での第24回同窓会を訪れることができ、岡本園長をはじめとする皆さんに再会することができました。今までは、大切な思い出留まりだったものが、人と人との縁を介して繋がりを見出せたことを何よりも嬉しく感じています。これからもよいこの学園の貴重な経験を、三つ子の魂百までと念じつつ、しっかりと縁として紡いでいきたいと思います。

在校生の皆さん、伸びやかな学園の経験を大切にして飛躍していってくださいね。いつの日か、またお会いできたら嬉しいです。

出典:学園機関誌「フレンドシップ」Autumn/2015 P.11「シリーズ ~先輩から一言~」。

川俣 光太郎さん

川俣 光太郎さん <精神科医>

Kotaro Kawamata

在籍:6年間
東京医科歯科大学卒。同大学附属病院で研修の後、都内の総合病院精神科に勤務(2015年 寄稿時点)

こんにちは、川俣光太郎です。6年間育英学園に育ち、校庭のトーテムポールの鳥をつくりました。

私は日本で精神科医をしています。ひとはこころに異常が生じると、言うことやすることが変化したり、眠れなくなったり、延々と悲しくなったり、といった「症状」が出ます。その症状で本人か周囲が困っているときに、精神科医の出番となります。

元気にする、というよりも、元気であることを妨げているものを取り除く仕事です。私はこの仕事が大好きで、わくわくしながら毎日に向かっています。何故って、妨げているものを取り除くと、その人の元気の素がうずうずと動き出して生き生きとしてくるのです。元気の素のひとつが、「自分の好きな何か」を体の芯から知っているということ。それが仕事であれ人であれ、その人が生き生きとなれるかにかなり影響していると感じています。生き生きとしている大人はカッコよく、魅力的です。だから、「自分の好きな何か」を見つける方法を知って欲しいと思います。それは、「自分のこころと体に訊くこと」。そのために「実際にやってみる。それに向かって動き出すこと」。自分が何が好きなのか、の納得には想像だけでは至りません。頭の中で考えるのと、体験として「自分自身にそのことを浴びせる」のとは、本の表紙を見るのと実際に読むこと以上の違いです。じゃあ何からやるのだろう?というのが疑問になります。これは、「ほんのかすかでも興味がわいたのなら、やってみてから決める。」その選別も行動し、体験することで自分に訊くのです。あこがれも、ふとしたものも、全てが対象になりえます。そのとき、お父さんが真剣に「これはしてはいけない」というものはしないで下さい。これかな?とか、これだ!という何かを見つけたら、さらにやることで自分自身のこころの声がもっと聞こえてきます。このように泥臭く積み上げた体験と声とが、それと生きてゆこう、と思う程の、「自分の好きな何か」に届かせます。だから、寄り道や回り道、変化もあろうけれども、ばんばん自分の意思で体験を積み重ねていって下さい。あと、やらなければならないことをすることも、この探索の中では大事だということも忘れないでおいて下さい。

出典:学園機関誌「フレンドシップ」Spring/2015 P.12「シリーズ ~先輩から一言~」。

外岡 潤さん

外岡 潤さん <弁護士>

Jun Sotooka

在籍:1990年代前半頃〜約1年間
新聞記者だった父の転勤で渡米、10歳の頃、兄弟3人で在籍
東京大学法学部卒業(2003年)、司法試験合格(2005年)。大手法律事務所勤務を経て、2009年に「法律事務所おかげさま」を開業。介護・福祉現場のトラブル解決に取り組む(2015年 寄稿時点)
2022年に弁護士法人おかげさまとして法人化、現在も介護・福祉分野で活動中。2025年に「介護職六法」を出版。(2026年9月 Web調査)

こんにちは、外岡です。私は今から20年以上前の10歳の頃、新聞記者だった父の転勤に合わせて、家族でニュージャージー州に越してきました。ニューヨーク育英学園には兄弟三人で1年間お世話になり、結局英語を身に付けられないまま帰国してしまったのですが、そのときの思い出は今でもかけがえのない大切なものとなっています。

この度岡本園長先生から久方ぶりにメールを頂き、学園が大変発展されていることを知り、我が事の様に嬉しく思います。また園長先生は二十数年前の生徒だった私のことを実によく覚えて下さっていて、嬉しいやら恥ずかしいやらでした(問題児だったからかもしれません…)。育英学園の先生方はユニークな先生が多く、生徒一人ひとりの個性を伸ばすのびのびした教育を施して下さった様に思います。

父が海外へ行くことが多かったため、私は幼い頃から漠然と「英語を使った仕事」に憧れていましたので、高校のときはオーストラリアにショートステイしたこともありました。海外に行って初めて、日本人の特徴や考え方、日本という国の在り方が分かるのだと思いました。

弁護士になり最初に入った事務所では英語を使うことも多かったのですが、思うところがありお年寄りの介護や障害者福祉の現場で起こるトラブルを解決する弁護士として独立しました。今日本は超高齢社会と言われていて、2025年には4人に1人が75歳以上になる見込みです。このようにお年寄りが増えていく中で、弁護士としてできることは裁判で争うことではなく、日本人ならではの「和の精神」をもって話し合いで解決することであると考え日々奮闘しています。

育英学園の生徒の皆さんも、私がそうであった様に今の経験はきっと将来役に立ちますから、のびのびと学びを続けて行って下さい。

出典:学園機関誌「フレンドシップ」Winter/2015 P.11「シリーズ ~先輩から一言~」。

藤原 茜さん

藤原 茜さん <弁護士>

Akane Fujiwara

在籍:1984年頃〜約1年間
当時「よい子の学園」(4歳で入学)
イエール大学卒業(社会学、2002年)、ブルックリン・ロースクール卒業(2006年)。ブロンクス郡地方検事局にて検事(重罪担当)を7年間勤務後、大手法律事務所を経て、2013年1月に個人事務所を開設(2014年 寄稿時点)
現在も刑事弁護士として活動中。(2026年9月 Web調査)

私が初めてアメリカにやって来たのは、1984年、ロサンゼルスオリンピックの年でした。父がコロンビア大に留学したのを機に一緒にやって来て、4才の私は晴れてNY育英学園(当時はよい子の学園)に入学したのでした。若き岡本園長が、「これっくらいのォ…」と身を振りながら歌っていたのを妙に覚えていますし、慣れない英語環境で子どもなりに感じていたストレスが解放されていきました。

その年は日本に帰ったのですが、3年後、なんと父が仕事をほっぽり出して、家族を連れてアメリカに戻ってしまったのです。それからは、コロラドやロスの生活を経て、ニュージャージーに舞い戻りました。

私は今、弁護士をやっています。弁護士になる前は、ブロンクス区で検事を7年間やっていました。検事という仕事は、悪いことをして警察に逮捕された人が、どの位刑務所に入っているべきかを裁判で決めていく仕事です。通常は警察の側に立ち、悪い人から社会を守るために頑張ります。

弁護士となった今は、逆に逮捕された人の側に立ち、その人の罪が少しでも減るように頑張っています。必要以上に刑務所にいるのを防ぎ、社会に早く戻って働けるようにしてあげるのが、社会のためになるからです。

このように、1つの犯罪でもどちらの側に立つかでやることは違いますが、社会を良くしようという目的は同じです。NY育英学園で学んでいる皆さんも将来は何かの仕事をして社会のために働かれることと思います。その時、どんな仕事でも求められるのは、人と人との話し合いの力や色々な知識をいっぱい持っていることです。

私も短い間ですが、当時のよい子の学園で色んなことを学び、今の仕事に役立てています。皆さんも是非、頑張って下さいね。

出典:学園機関誌「フレンドシップ」2014 AUTUMN P.11「シリーズ ~先輩から一言~」。